今日の三条の糸屋の娘、妹18、姉二十(はたち)
姉も妹も美人でござる
諸国大名は弓矢で殺す
糸屋の娘は目で殺す
古い俗謡です。作者がなんと”頼山陽”(1780~1832 江戸後期の儒者尊壤派の志士の精神的支柱として大きな影響を与えた。著書「日本外史」など)、こんな俗謡も作るんだ。天下が沸き立つような江戸時代末期。
「尊皇」だ。「攘夷」だと言っていたときに、その精神的支柱と言われる学者が遊んで作る文章の軟らかさが意外でした。
そして其れを見つけたのは 安岡正篤著「易と健康」のなかで、著者が、文章には起承転結がないといけない。と言う解説の中で語っていました。著者がこんなに柔らかい俗謡を例に出すことも又、意外でした。
「ムックリ コックリ」という言葉はよく使う言葉なのですが、司馬遼太郎著「韃靼疾風録(だったんしぷうろく)」の中に、蒙古国(むっくり)高句麗(こっくり)と振り仮名が打たれていました。
中国が元という時代の頃(日本の鎌倉時代)、ジンギスカンは蒙古の人ですから、蒙古襲来と日本歴史では習いましたが、その時、蒙古軍の命令で、高句麗(今の朝鮮、韓国)が一緒に日本に攻めてきました。台風(神風)のために日本は事なきを得ましたが、庶民の中では怖ろしさの記憶として、こんな言葉が残っていることに、如何におびえたかを想像出来ます。
こんなに昔の記憶が言葉の中に残っているくらいですから、私達の国が第二次世界大戦時に他の国に攻めていったことの記憶は、そうは簡単に、攻められた国の人々の心からはぬぐい去ることは出来ないだろうと容易に想像がつきます。
マクロビオティックの創始者である「桜沢如一」や久司道夫先生は世界平和のために、その手段としてと言ってもよいのではないかと思いますが、マクロビオティック運動を展開されたと私は解釈しています。
桜沢先生は「世界連邦」を終生目差しておられました。そして、久司先生は、”One Peaceful World"と言う言葉を先生のニュースレターに書いておられます。
