野口整体金井流 個人指導 1 | 野口整体金井流 健康の自然法

野口整体金井流 健康の自然法

野口整体金井流の実践
個人指導・活元運動・体癖・坐

 

野口整体金井流個人指導

 

「生きて、動いて、絶えず変化する」身体を観る

 

個性の自覚

どんな生活方法も、健康法も、適うということがなければ効果を齎すものではない。

一切の養生、衛生の問題は、自分自身で自分の特長や欠点を、体の面でも、心の使い方の面でも、ハッキリ知っておくということが大切である。

 

(野口晴哉『風声明語2』)

 

①個人指導で行うこと

 「生きて、動いて、絶えず変化する」というのは、戦前の野口先生の言葉で、金井先生はこの表現を好んでいました。これは西洋医学が基づく「死んでいて、動かない」解剖学的な肉体とは違う体を表わしています。

 以前、ある医師が金井先生に入門していたことがあり、彼は金井先生が鳩尾を手で捉えるのを見て、「はじめは、何か内臓を見ようとしているのかな?と思ったけど、そういうものじゃない。何に触れているんだろう?と思った」と言ったことがありました。

 医師が患者に「先生、鳩尾が痛い」と言われたら「ふむ、胃かな?」などと「内臓」を見ようとするものです。しかし個人指導の観察ではお腹の皮膚、筋肉という体壁に「力が集まっている」状態を観て、触れているのです。

 また整体指導では、そうやって捉えた身体を通じ、家庭、学校、職場といった社会生活を送っている「生活している人間」を観ています。

 自然環境や日本、現代社会という外界に接しながら、かつ潜在意識、体癖といった内界を持って生きているのが人間です。その外界と内界の関わりの中で起きてくる事象を丸ごと観ていくのです。

 

 ことに野口整体金井流では、「観察」が重要な役割を持っていて、眼と手を通じて「今のこの人の状態」を捉えていくのですが、焦点となるのは顔色(表情)、しぐさ、体の歪み、硬張り、体勢(野口整体では偏り疲労という)などの「表情」です。

 観察をしているうちに断片的な感覚、印象が私の中でまとまると、その人の今が観えてきます。そして「何か驚くようなことがあって、不安になっているのじゃない?」など最初の問いかけとなる言葉が出てきます。体に対するはたらき掛けだけではなく、問いかけを通じて、相手を内へと向かわせ、発端となった感情の起こりに気づくようにしていきます。

 こうした問いかけに、すぐに相手が思い当たってくれるとは限りません。体に不調を来す元になっている感情は潜在意識化しているからです。またこうしたやりとりは初回の指導では難しい面があります。

しかし、気によるはたらきかけによって心と体の過度緊張が弛み、身体感覚が目覚めてくると、捉われていたことに気づくことができるのです。個人指導の中においても活元運動の誘導は積極的に行います。活元運動によって心の滞りが流れていくのです。

 このような言葉と身体の両方からの対話とはたらきかけが、野口整体金井流の特徴となっています。

そして、身心両面からのやりとりを通じて、その人が今の生活にどのように適応しているかということが観えてきます。人間にとって健康的な適応とは、主体性、自発性が発揮されている身心で外界との調和を実現することです。

 体の自然が損なわれていることの背景には、その人の今の生活、生き方に無理な適応の仕方がある、または不適応で行き詰っているという状態があり、この外界に対する自身の反応、受け取り方として情動があるのです。