ごもっとも。
「Amazonは資本主義じゃない!」「じゃあ何なの?」→まさかの答えに震える
日常の買い物で、アマゾンを一切使わないという人はかなり少数派だろう。便利なサービスを享受する自由な消費者でいるつもりでいるかもしれないが、実はアルゴリズムで欲望を操られ、知らないうちに巨大テック企業が支配する世界に仕える農奴へと成り下がっていることにお気づきだろうか。※本稿は、ヤニス・バルファキス著、関 美和訳『テクノ封建制 デジタル空間の領主たちが私たち農奴を支配する とんでもなく醜くて、不公平な経済の話。』(集英社)の一部を抜粋・編集したものです。
● アマゾンがつくった市場は 資本主義ではない!? 「アマゾン・ドットコムの中に足を踏み入れるということは、資本主義の世界から退出するということだ。大量の売買が行われていても、あの場所は市場とは言えない領域だし、デジタル市場でさえない」。私は講義や討論会でよくこのフレーズを口にするのだが、そう言うと、人々は私が気が変になったのかと心配そうな目で見てくる。だが、その意味するところを説明しはじめると、私への懸念が、自分たち全員の不安に変わる。 SF小説から抜き出したような、次のシーンを想像してほしい。あなたはある街に迷い込む。その街にいるのはガジェットや服や靴、本や音楽やゲームや映画を売買して生計を立てている人ばかりだ。最初はなにもかも普通に思える。しばらくすると、妙なことに気がつく。どの店も、建物もすべて、実はジェフという男のものなのだ。店で売られているものを作る工場を彼は所有しているわけではないが、すべての売上の上前をはねるアルゴリズムを彼が押さえていて、販売できる商品とできない商品を彼が決めている。
もしそれだけなら、昔の西部劇の一場面のように、一匹狼のカウボーイがある町を通りかかったところ、太っちょの実力者がバーも食料品店も郵便局も鉄道も銀行も、当然ながら保安官も自分のものにしているのに気づくというシーンが思い浮かぶだろう。だが、それだけではない。ジェフが所有するのは店舗や公共施設だけではない。あなたが歩く土の上も、腰を下ろすベンチも、吸う空気すらも彼が所有している。 実は、この奇妙な街では、目にするもの(そして目にしないものも)すべてがジェフのアルゴリズムによって管理されている。あなたと私が隣同士並んで歩き、どちらも同じ方向を見ていたとしても、アルゴリズムが提供する景色はひとりひとりまったく違い、ジェフの目的に沿って注意深くカスタマイズされている。アマゾン・ドットコムの中を動き回る人はいずれも──ジェフ以外は──、アルゴリズムによって隔離された場所をさまよっている。● 完全な独占市場よりも たちが悪いアマゾン・ドットコム ここは市場と言える街ではない。超資本主義のデジタル市場の一形態でさえない。どんなにひどい市場でも、そこは出会いの場であり、人々が接触し、それなりに自由に情報をやり取りしている。実際、完全な独占市場よりもアマゾン・ドットコムはたちが悪い。少なくとも独占市場では、買い手同士が話をしたり、協会を作ったり、不買運動を起こして独占的な売り手に値段を下げさせたり、品質を上げさせたりできる。ジェフの領土ではそういうわけにもいかない。あらゆるモノと人を仲介するのは、中立的な市場の見えざる手ではなく、ジェフの利益のために働き、彼の好みにだけ合わせて踊るアルゴリズムだからだ。 それでもまだ恐ろしくないというなら、このアルゴリズムは、私たちが学習させたアレクサを通して私たちについて学習し、私たちの欲望をつくり出しているアルゴリズムと同じものだということを思い出してほしい。あまりの傲慢さに嫌な気持ちになるはずだ。私たちがリアルタイムで学習を手助けした結果、私たちの裏も表も知り尽くしたそのアルゴリズムが、私たちの好みを変化させ、その好みを満足させる商品を選んで配達させている。それはまるでドン・ドレイパー(編集部注/1960年代のニューヨークの広告業界を描いたテレビドラマ『マッドメン』の登場する敏腕広告マン)が私たちに特定の商品への欲望を植えつけたうえで、どんなライバルも押しのけて、即座にその商品を玄関口に配達する超能力を手に入れたようなものだ。
しかも、それはすべてジェフという男の富と権力をより増大させるためのものなのだ。自由主義者であれば、これほどまでにひとりの人間に力が集中していることに震え上がるはずだ。市場という考え方を(そして、もちろん自律的な自己という考え方も)信じる人であれば、クラウド資本が市場の死を告げる弔いの鐘であるとわかるだろう。市場に懐疑的な人も、とりわけ社会主義者なら、アマゾン・ドットコムは資本主義が行きすぎた存在だから悪者だ、という甘い思い込みが間違いだったと気づくべきだ。なぜなら、実のところアマゾンは資本主義よりも邪悪ななにかだからだ。● 例えるならアマゾンは デジタル版の封建領地 「アマゾンが資本主義市場でないとしたら、アマゾン・ドットコムという場所はいったいなんなのか?」と、数年前、テキサス大学の学生に聞かれた。 「デジタル版の封建領地のようなものだ」。私は直感的にそう答えた。「ポスト資本主義の時代のね。その歴史的なルーツは封建時代のヨーロッパにあるけれど、未来型のディストピア的なクラウド資本がそのルールを決めている封建領地だ」。それ以来、このときの発言は難しい問いへのそれなりに正しい答えだったと確信するようになった。 封建制のもとで、領主はいわゆる「封土」を「封臣」と呼ばれる家臣たちに与える。こうした封土とは、領主の領土の一部で経済的な利益を搾り取る権利を封臣たちへと正式に与えるものだ。たとえば、その領土で作物を植えたり、そこで家畜を放牧したりする権利である。封臣は見返りとして生産物の一部を領主に納める。領主は執行官を派遣して、封土での生産を監視し、支払われるべきものを徴収する。アマゾンに出店する事業者とジェフとの関係は、これとそう違わない。ジェフは事業者にクラウドベースのデジタルな封土を与え、手数料を受け取り、アルゴリズム執行官に監視させて徴収するのだ。
● アマゾンに依存する私たちは もう「農奴」になっている アマゾンは、はじまりにすぎなかった。アリババは同じやり方で、中国で似たようなクラウド封土をつくり上げた。アマゾンを模倣したEコマース・プラットフォームがグローバル・サウスでもグローバル・ノースでも、至る所あちこちで生まれている。さらに重要なのは、ほかの産業部門もまたクラウド封土に変わりつつあることだ。たとえばイーロン・マスクが成功させた電気自動車のテスラを例にとってみよう。投資家がテスラをフォードやトヨタよりはるかに高く評価するひとつの理由は、テスラ車のあらゆる回路がクラウド資本に接続されていることにある。 たとえば、運転者がテスラの意向に沿わない使い方をした場合には遠隔操作で電源を切ることができるし、運転しているだけでオーナーはリアルタイムの情報(どんな音楽を聴いているかも含めて!)を提供していることになり、テスラのクラウド資本を豊かにしている。自覚していないだろうが、最新の空気力学で輝くテスラを手に入れた鼻高々のオーナーこそ、まさにクラウド農奴なのだ。 心揺さぶる科学的発明や幻想的な響きのニューラル・ネットワークや想像を超えるAIプログラムは、なんのために必要だったのだろう?倉庫で働く人、タクシーの運転手、食品のデリバリーをする人たちを、クラウド・プロレタリアートに変えるためだ。市場がますますクラウド封土に置き換わるような世界を生み出すためだ。事業者に封臣の役割を押しつけるためだ。そして私たちみんなをクラウド農奴に変え、スマートフォンとタブレットに釘づけにし、クラウド資本を生産させて封建領主をこのうえなく喜ばせ続けるためなのだ。
