クリスマスの数日後から今日までは怒涛の一週間だった。

元々、喪中で初詣にも行けないので静かに年末年始を過ごそうと

決めていたのに真逆になった。

12月27日(火)の午後2時過ぎ、義理の母が救急車で病院に搬送されたと

連絡が入り実家近くの病院(車で一時間ほど)へ向かう。

救急車の到着からだと約3時間くらい経過してから医師に呼ばれる。

実は、救急車の中はおろか救急治療室の中でも心肺停止状態になったそうだ。

この時点で、回復は見込めないが脳死まで治療を続けるか

自力呼吸の経過を見守るかの選択を迫られた。

そして、長い家族会議の結果、自力呼吸を見守る事になった。

入院手続きを済ませ、病院から実家へ戻り深夜まで待機。

病院からの連絡がなかったので一旦自宅へ戻る。

28日(水)、一日中病院の待合室と実家にて待機。

29日(木)からは呼吸がやや安定してきたので自宅に戻って義理の妹などと

その後の経過の連絡を取り合う。

30日(金)、都内から妹が帰省。経過は横ばい。

31日(土)、家族で紅白を見ながら夕食を食べ、ささやかな年末年始気分を味わう。

元旦、早朝に電話が鳴り、容態が悪化したとの連絡があったので病院へ向かう。

血圧が60まで下がったが薬で80まで持ち直したので実家で待機して夜帰宅。

1月2日(月)、昼間は病院の待合室で待機。夕方、自宅へ戻る。

この様な状態がしばらくは続くのかと思っていた矢先、深夜に電話が鳴り、

容態が急変して危険な状態だと言うので急いで病院へ向かうが最後には

間に合わなかった。

1月2日、永眠。

自分たちが到着した頃にはすでに日付は変わっていた。

1月3日(火)、病院はすぐに出なければならないと言う事で相談の結果、

深夜2時に義母は約2年ぶりに実家へ戻って来た。

深夜3時過ぎに一旦自宅に戻って仮眠を取り、午前中に葬儀屋さんとの

打ち合わせのため再び実家へ。

そのまま昼食も取らずに夕方まで打ち合わせ。

葬儀屋さんが帰ってから食事をしながら家族間で今後の打ち合わせをして

夜に帰宅。爆睡。

今日は、市役所に行ったり灯油を買いに行ったり、1週間前からやろうと

思っていて先延ばしになっていた用事を済ませていた。

明日は、午前中にお寺の住職への挨拶。

葬儀屋さんは年末からの予約で今週はすでに一杯なのだそうで

今後の予定は

7日(土)、納棺

10日(火)、通夜

11日(水)、葬儀及び火葬

が最速だったのでそこにする事になった。


義母さんは、そんなにパワフルなタイプではなかったので長期間に渡って

闘病生活が出来るとは正直、思っていなかった。

心肺停止から復活して自力呼吸を始めたのもビックリした。

心臓が強いなぁと思った。

反面、容態が急変してからは僅か1時間程度しか持たなかった訳で

命って儚いなぁとも思った。