昨日の続き。
まぁそんなところから、心臓病人生が始まったわけです。
精密検査を受ける為に県立の大きな病院に行き、下された診断。
その当時言われていた病名は『弁膜症』とただそれだけ。
医療技術のせいなのか、はたまた田舎の病院だからなのかそれ以外の病名は出てきませんでした。
『弁膜症の為、心臓内で血が逆流しています。私生活には気を付けて下さい。』
ホント今考えると何いってるんだ?ってレベルの診断。
それから毎年、年に1回の精密検査。
今ほど診察オペレーションも整っていない田舎の大きな病院だった為に、予約をとるのは検査を希望する2か月前。
その予約をとるのすら3時間待ちという今では考えられない環境。
もちろん、診察をしてもらうだけで1日覚悟しなければならないという状況でした。
検査もほぼ1ヵ月がかり。
いやぁホント何だったんだろ。
あの無駄な時間は。
お陰さまで心臓検査の為に、年に1回の夏休みはどこへも連れて行ってはもらえず、検査の為に自宅付近での待機だったんです。
もちろん、私生活にも制限がいっぱい。
運動会、マラソン大会、水泳大会、運動という学校行事は全て制限され、遠足、スキー教室すらも
保護者同伴という何とも屈辱的な小学校生活を送っていました。
それから中学生になり、相変わらず制限を受ける生活を送る中、一つの大きな事件が起きたんです…。
自分の人生をガラッと変えた事件。
それは中学校3年生の春でした。
私の地元と姉妹都市になっていたアメリカはアイオワ州キオカック市に短期留学希望者を募る
という企画が地元自治体の公立中学校にあったんです。
もちろん希望者全員で行けるわけではなく、希望者全員での英語筆記試験があり上位者3名だけが行けるという関門。
当時、英語が大好きだった私は試験にも絶対的な自信があり、いつか海外に行ってみたいという夢があった為即応募。
そんなこんなで試験を受け、見事10人程の希望者の中で2位の成績を修める事が出来ました。
そして留学に心を躍らせていたある時、衝撃的な通達を受けたんです。
『留学取り消し』
別に、体育館の裏でタバコを吸っていたわけでもなく、夜中に教室のガラスを割ったでもなく
原因は…
『心臓病の為』
14歳の自分には衝撃が強過ぎてワケがわかりませんでした。
ましては小学生の頃から散々制限を受けた生活をし、ここへ来て
さらに夢までもが制限されました。
そしてその事件から心に決めました。
『死んでもいいから自分のやりたい事をやって生きていこう』って。
そんな決意をし、高校生になるんです。
続きはまた。