私の母方の祖母(もう他界しています)は
明治生まれ
戦後まもなく、42歳の時に私の母を産んだ

北陸の小さな田舎町で
近くに病院などはなく
昔ながらの方法で自宅で産んだのだと思う

祖母は、出産時に当時の言葉でいう「弛緩出血」をおこし
数年寝たりきりとなった

生死の境を彷徨ったのだろうか
祖母は三途の川を見たという
おーい、おーいと、川の向こうで亡くなった親類が手をふっていたそうだ

未熟児で産まれた母は
母乳を飲むことができず
兄弟が近所に「もらい乳」をしにいったり
(近所の乳児がいるお母さんからお乳をもらうこと)
ヤギのミルクで育った

母は、湯呑みほどの頭の大きさしかなくて
同居していた母の祖父が懐に入れて
温めて育ててくれたらしい

医療も何もない田舎で
未熟児で産まれ
母体は数年寝たきり
今では信じられない状況で
母は生き延びた

祖母も数年後には回復し
大変元気なおばあちゃんになって
95歳まで畑仕事をし
98歳で老衰でなくなった

私がこの話を聞いたのは
大人になってから

事のすごさ?に気づいたのは
子どもを産んでからだ

戦後すぐに未熟児で産まれ
生みの母は生死を彷徨うという
過酷な状況を生き抜いた母がいなければ
私はこの世に存在しなかったのだから


現代のような医療のなかった昔の日本で生き延びた
赤ちゃんの生命力
お母さんの生命力
そして支えてくれた家族

みんながいたから私がいる

私がだけが知っているのは勿体ない、と
ブログに記録しました