ロシア人は騎馬民族 (3) | ソ連風来坊のブログ

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台湾出身の一匹狼、旧ソ連陣営と東アジアを報道

続いてイデオロギーについて分析してみます。 

話は13世紀に戻り、モンゴル大軍の侵攻に悩んでいる最中、当時のロシアはもう一つの強敵に臨んだ。西側、スウェーデンとドイツが連合軍の形で各ルーシ(古代スラヴ)部族に攻めて来た。カトリック系の十字軍の東征だった。


民衆を戦火より救ったのはネフスキー(Александр Невский)大公だった。


ネフスキー大公は自ら軍を率いて迎撃し、チュド湖(Чудское озерое)で十字軍を打ち破り、少人数で圧倒的な勝利を手にした。


名勝負:「氷上の戦い」(Ледовое побоище)と呼ばれた。

一方、モンゴル騎馬軍団の実力を知ったネフスキー大公は各部族を回り、無益な抵抗して犠牲を払うより講和を勧めた。これを知ったモンゴル側は大喜び、バットハーンは大公を接見して重役に引き立てた。

これでルーシ(古代スラヴ)部族とモンゴル帝国の同盟と従属関係が始まった。二百数十年間、騎馬民族の重圧の下で強いられたが、各ルーシ部族を基本的な平和を守って大規模な殺戮をかわした。

ネフスキー大公は後世のロシア人に尊敬され、民族英雄だと見なされた。


こんな路線が数百年後の今日も繰り返されているようだーーーー

ソ連崩壊直後、売国奴エリツィンはひたすら西側に諂いながら好意を示したが、却って向こうに軽蔑されて馬鹿された。結局は自身の失策によって辞職を追い込まれた。後継者であるプーチン大統領が路線を一転し、西側には強硬姿勢を示しながら東洋との連合を重視してきた。その転換が高い支持率を得た一つの要因であろう。


さらに旧ソビエト連邦のメンバーたちとロシアの仲で検証して見ると、

バルト三国、ソ連崩壊の主因とも言われるし、ロシアへの憎しみも深い。今はすでにNATOに加入してロシアと対抗する。

諸隣国の場合、ウクライナ、ロシアとは親戚とはいえ、親露と反露の対立によって長い間に分断していた。緊密な連合を保っているのはベラルーシのみ。

カフカズ(コーカサス地域)の場合、グルジア(ジョージア)共和国がときどき反ロシアヒステリーに走って暴動をやっている。アゼルバイジャンが立場不明の曖昧状態。唯一、友好関係を持つのはアルメニアだけ。 

さて、中央アジアになると全然違う、ロシアとの連携と友好は着実に進んでいる。もっと東に行くと、モンゴルとの関係も同じで連携と友好がずっと変わらなかった。ソ連の一員ではないモンゴルだが、ロシアとの仲は良好に維持している。

特筆すべきのは北朝鮮、ソ連の一員ではないが、ソ連崩壊後、ソ連式の社会主義を概ねに守っただけに多くのロシア人が感動して訪ねていった高句麗時代の北朝鮮も騎馬民族だったため、ソ連とロシアとは仲良くやっていけなるのだろう。

というわけで、ソ連の本質は現代化した騎馬民族国家の連合崩壊してでも、騎馬民族の特色を持つ各国間の交流とつながりがずっと続いている、というような気がした。

(続く)

 

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