本日は、

新コーナー、Prima / Dopo プリマ・ドーポ

なんのこっちゃえ? だよね~。

ほら、イタリアって、歴史建造物を残すため、
中の改装はOKだけど、立て直してはダメってな建物があったりします。
そして、「昔はこの建物は、宮殿で、○○宮殿と呼ばれていました。
16世紀に△△という名前に変わっており、また現在は市役所になっています。」みたいなのもあります。

観光に来た時に、「ここは、市役所」とわかっても、「へ~」で終わっちゃうけど、
その建物が自分の聞いたことのある歴史上の人物に関係していたら、
「あの人が住んでいたんだ~。」と、一気にその人が身近になって楽しいかな~と思って。

ということで、Prima(以前) / Dopo(現在)、やってみま~す♪

まずは、昨日コメント頂きました、モンブランさんのご質問から。

「飢餓の塔」
Torre della Muda または、Torre della Fameというもので、
そもそも、この塔は、おっとろちい~ことがあった塔です。

13世紀、教皇派と皇帝派の対立という、ピサの権力争いに負けたウゴリーノ伯爵とその子や孫5人が
飢餓の刑として、死ぬまで幽閉された塔です。
伯爵が復讐できるようにと、自分の体を食べて生き残るように言って亡くなった彼の息子や孫の
血や肉を食しながらも(言われて食べたというより、多分この時点でおかしくなっちゃってるからだと思います)、
最後には、ウゴリーノも1289 年に餓死するという、
残虐で壮絶なことが起きた場所。

このことは、ダンテの「神曲」地獄編に書かれております。彫刻とかもあるよん。
詳しくは、Wikipediaでどうぞ→ここ

結論から申しますと、この塔は、今は一部を残して別の建物が建っています。



 

現在は、こちら、時計宮 Palazzo dell'Orologgio が建っています。
これね、2つの建物を真ん中でつなげて1つにしてあります。

1289 年ウゴリーノ伯爵が亡くなり、約70年後の1357年には既に、 グアランディ一家の所有になっていた!  
よく買ったなぁ~
1554 年には、ジョルジョ ・ ヴァザーリの設計で、宮殿が完成し、
そして、1566年からは、サン・ステファノ騎士団診療所として使われました。
当時は、ボノモ宮殿 Palazzo del Bonomo と呼ばれていたそうです。

この、2つの建物を時計とアーチで連結した形になったのは、1605年~1608年の間。
現在は、隣にあります、ピサの超難関国立大学Scuola normale superiore di Pisaの図書館の一部となっています。

昔の面影が残っているのはですね、左側の四連の窓 
これが、改築前の唯一のものだそう。

いつの改築のときだろうね~。
ヴァザーリの時?それとも、 グアランディさんの時か、はたまたウゴリーノの時なのか! いや、まさかね。。。

いつの時代のものか、わかったら、ご報告します。   それか、誰か教えてください
この建物の壁には、ウゴリーノのことが記してあるプレートがあります。


鐘の上には、



 

ピサの紋章~♪

ちなみに、この時計、動いてるけど、時間正しくないから、これで待ち合わせしないように。


あとね、チェーザレ好きのあなたに、



 
1400年代からのメディチ家の館
映ってないけど、もう少し左側にも続いています。
ここ、今は県庁 Prefettura です。私も何度か入ったよ~ん。
入口に、受付の事務所があって、何しに来たのか言うと入れてくれます。

思ったより、外観派手じゃないね。
貴族ではなく商家だからかな~?ねたまれないように質素にしたか?


先ほどの時計宮のある広場は、ピサの町の中心、および政治の中心地でした。
1140年頃は、セッテ・ヴィエ広場 Piazza delle Sette Vieと呼ばれていた広場は、
今は、騎士広場 Piazza dei Cavalieri に。



 

カヴァリエーリ宮 Palazzo dei Cavalieriと呼ばれていたこの建物は、
1810年、ナポレオンが作った大学、Scuola normale superiore di Pisa ピサ高等師範学校に。
(過去記事のこの辺りをご覧ください→1 2

フランスの、パリ高等師範学校 succursale dell’École Normale Supérieure di Parigi.
をまねて創設した、イタリア屈指の名門大学。

この大学、超難関大学で、入るのも毎年100人程度の入学者で、卒業生は8-9%。
ノーベル賞受賞3回、イタリア共和国大統領を2名だしております。
しかし、こういうのを全く前面に出して宣伝しないところが、イタリアらしい。
物理や数学がとくに有名で、世界中から研究者が来ております。

そして、この建物の前には、



 

メディチ家のコジモ1世

聖ステファノ騎士団(カヴァリエーリ)を結成した人ね。
なので、この広場の名前が、カヴァリエーリ広場。





建物の正面全部にこれが書いてあるかと思うとすごいね~。
この建物、近くに行くとすっごい大きいです。



 

この建物の旗の上にある、6つの玉のマークはメディチ家の紋章です。

それと同じ高さで並ぶ6つの胸像は、メディチ家歴代頭首のものだそうです。
誰が誰だか、わかったら、またその時に(笑)
 
この広場、こうやって市場が建つ時もありますし、



 

観光客用の馬車も通ります。

馬車のバックの工事中の建物は、カノーニカ宮 Palazzo della canonica
サン・ステーファノ騎士教会の牧師館だった館です。


ということは、その向かいには、



 

騎士団のために作られたサン・ステファノ教会 Chiesa di Santo Stefano dei Cavalieri
ここにも6玉のメディチ家の紋章がどーんとあります。

dei Cavalieriが後ろについてるってことは、サン・ステファノ関係の教会は、きっと他にもあるんでしょうね。

ピサが、メディチ家の手中に入ったんで、この広場も、そのゆかりのものがいっぱい。
フィレンツェのヴァザーリの回廊の、あのヴァザーリの設計のものだらけ。
彼は、16世紀半ば、フィレンツェのウフィツィ宮を建設した人。

先ほどの時計宮しかり、大学になっているカヴァリエーリ宮、この教会、カノーニカ宮・・・
あ、全部やんか!
はい、ヴァザーリ好きな人、ここ訪問必須ですよ~!




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