みなさんこんにちは!

テストが近いのに相変わらず勉強しない洸です。

今日から新しいテーマ「洸の作家気分」が始動します!

 

初回は

「愛してる。また会おう」

本当は4月16日に投稿する予定だったのですが

頑張って書いたので早くみなさんに読んでほしくて…w

え?前置きが長いって?(-_-)

じゃあもう邪魔者は居なくなりますよっ!

 

では

「愛してる。また会おう」

 

スタート

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

2014.4.16

深い霧に包まれていたこの日。

全てが悲劇に変わった日。

セウォル号は沈没した。

多くの高校生と共に。

 

 

 

2014.4.15

 

18:30

「ねぇ。もう船が出発する時間じゃない?」

「だよね。早く出港しないかなぁ〜」

「ん〜今日は無理かもよ?」

「え⁉なんで?」

「ほら。霧が濃いじゃん。大型客船って視界が1km以上ないと出港できないんだよ。」

「へぇ〜よく知ってるね。ってことは修学旅行がなくなっちゃうかも?」

「かもね。」

「マジ⁉嫌だよ〜行きたいよ」

「ちょっと聞いてた?23時まで出港遅れるってさっき言われたでしょ」

「あ。そうだったっけw」

「なんだ。行けるんなら待つしかないね。」

「それまでカードゲームでもしてる?」

「よしやろう!」

 

 

21:00

「みなさま、お待たせして申し訳ありません。たった今、出港を決定しました。」

船内アナウンスが流れた。

「ホント⁉やった〜‼」

「しかも夕食のサービスもあるみたいだよ!」

「俺らちょーラッキーじゃん!遊びまくろう!」

 

それまで落ち込んでいた高校生や乗客達は喜んで船内に入っていった。

 

この時視界は800m。

仁川港にいた10隻のうち、出港を決めたのはこのセウォル号ただ一隻。

赤字を防ぐための船会社の判断だった。

 

 

22:00

夕食を終えた高校生達は甲板に集まり

船会社主催の花火大会を見物し、セウォル号の専属歌手だったサンドラの歌を聴いた。

 

その後は船内に戻り、翌日のために就寝。

 

 

 

2014.4.16

 

8:00

「おはよ〜昨日はよく寝れた?」

「全然。済州島に着くのが楽しみすぎてw」

「それなぁ。おかげで寝不足だよw」

「ちょっとそこ〜?早く着替えて。朝食だよ。」

「へいへ〜い」

 

朝食後、多くの生徒達は夜遅くまで起きていて寝不足だったため

二度寝やリラックスするために客室に戻った。

 

そのころ船は潮の流れが速いことで有名なメンゴル水道を航行中だった。

通常技術のある、一等航海士が担当するはずのこのエリア。

だが出港が2時間遅れたことにより入社して4ヶ月の三等航海士が操縦していた。

 

8:50

三等航海士の指示で急な左旋回操舵をしたことにより

セウォル号は左舷側を下に横転。

これにより怪我を負った人もいたが負傷者の出なかった場所では

まだ笑って写真を撮る者もいた。

 

「なんか傾いてきてる?」

「まぁ大丈夫でしょ。みんないるし。これFacebookにアップしたら面白いかもw」

「さすがにやめとけよなw」

「ほらっみんなで写真撮ろうよ!」

「3・2・1!」

 

自分にとって都合の悪いことを無視したり、過小評価してしまう

「正常性バイアス」。

多くの人が集まることにより生まれる

「安心感」や「集団心理」。

これらが働きすぐに危機感を感じられた生徒は少なかった。

 

だが、そんな「大丈夫」ムードをよそに事態はどんどん悪化。

さすがに生徒達も危機感を覚え始める。

 

そんな中キム・ハンソンという青年は

船の横転直後に船窓から貨物コンテナなどが海上に落ちてしまっている状況を見て

「これはただ事ではない」と判断。

すぐに海洋警察にSOSを出し

45度傾いて壁のようになってしまった床を靴を脱いでよじ登り、

客室内にある救命胴衣を皆に配りながら、

「船内に海水が入ってくるぞ!」

とできるだけ多くの仲間に告げた。

 

「その場を動かないでじっとしていて下さい。10分後には救助が来ます。」

船内アナウンスが流れた。

繰り返し、何度も。何度も…

 

船が沈みかけている時のすべき行動を知っている高校生は少ない。

多くの高校生達はこのアナウンスに従い

一向に来る気配のない助けをひたすらに恐怖心に耐えながら待っていた。

 

次第に船窓と海面の距離が近づく。

 

「そうだ…!お母さん!連絡しないと…」

「あ。そうだ。お父さんに連絡…」

 

「もう言えないかもしれないので伝えておきます。お母さん。愛しています」

1人の生徒が母親にメールを送った。

 

「僕の部屋は45度も傾いてる。携帯もよくつながらない」

兄に宛てたメール。

 

「お父さん、心配しないで。救命胴衣をつけて、みんなと一緒にいるから。

まだ船の中です。ホールにいます」

父親はすぐに脱出するよう伝えた。

「だめ、船がすごく傾いてて出られない。ホールはたくさんの人たちでいっぱい」

これが最後のメッセージとなった。

 

「なあ、みんな絶対に生きてまた会おうな」

1人の生徒がチャットに書き込んだ。

「みんな、大好きだよ」

他の生徒はそう応じた。

 

その間に船長らは救命ボードで脱出。

もちろん最後まで乗客を救おうともがいた船員もいた。

 

だがそんな努力をよそに事故発生から1時間50分後

 

10:40

セウォル号沈没

 

多くの命を載せたままセウォル号は海の中へ消えていった。

 

乗船していたのは476人。

 

そのうち檀園高校2年生が325人と引率教諭14人。

 

この事故の犠牲者は304人。

 

そのうち檀園高校の生徒は250人。教員は11人。

 

事故のあとに自ら命を断った人も含まれている。

 

 

このセウォル号はもともと日本で

「フェリーなみのうえ」として航行していた。

その後韓国に「ほぼ鉄屑同然」として売られたものだった。

それに改造を加え、船体バランスが悪化したこと。

 

推奨貨物量の上限987トンに対し、

事故当時はこの3.6倍となる3,608トンが積載されていて過剰積載であったこと。

 

この過剰積載をごまかすため

バラスト(船のバランスを保つため、予め船底に入っている海水)

を放水しながら船体を浮き上がらせたため

バラストの海水が基準値の4分の1しか入ってなかったこと。

 

これらが主な原因となったと事故後の調査で判明した。

 

 

 

それでもあの日、高校生達の命の灯火を消したのは誰だろうか?

 

多くの明るい未来を暗闇に突き落としたのは誰だろうか?

 

救えるはずの多くの命を見捨てたのは誰だろうか?

 

まだ真っ白な心を踏みにじったのは誰だろうか?

 

 

 

落ち葉が落ちます。

 

 

 

雪の華が落ちます。

 

 

 

「愛してる。また会おう」

 

 

 

 

 

 

この物語は実際に韓国で起こった「セウォル号沈没事故」を基に

構成・脚色したものです。

(個人的には「セウォル号沈没事件」にしたいところですが。)

 

興味のある方は是非調べてみて下さい。

 

今日もどこかで黄色いリボンが風に吹かれていることでしょう。