タイトル見て、楽しい話しだと思ってやってきた皆さん

すみません。


別に面白くもなんともない話ですあせる



今日6月4日は父の命日です。


6年前の今日。

60歳でした。




父は、中学を卒業してから大工の修行をするために

大阪に出たそうです。


その後、京都へ行き、愛知へ流れ着いたとかはてなマーク



あまり詳しいことは覚えていませんが、

そんなことを話していた気がします。




愛知に住んでいた時、友人のアパートに遊びに行き、

そのとき、共同流しで荒いものをしていた女性に一目ぼれしたそうです。



それが、母です恋の矢





二人は結婚し、兄と私と妹が産まれ、

金銭的にはかなり貧乏したようですが、

それでも、母には一切働かせず、

休みも返上してアルバイトに出かけていました。



小学校の頃、「お父さんのお休みっていつなの?」と

遊びに連れて行って欲しい私が聞くと

「お父さんのお休みは水曜日なんだよ」と言っていました。


お父さんのお休みは水曜日

普通の日なら遊びに行けなくても仕方ないか・・・

と、子供たちもそれで納得。


時々は、近所の友達がお出かけした話を聞いて

「○○ちゃんの所はどこそこへ遊びに行ったのに、何で家は行けないの?」

と、駄々をこねたこともありましたあせる


すると、父が決まって言う一言

「よそはよそ、家は家ビックリマーク」って




そんな子供たちを不憫に思ってか、

時々はあまりお金のかからない広場や、公園に遊びに連れて行ってくれたり、

キャッチボールしてくれたりしました。

そういえば、わたし用にグローブ買ってくれたなぁ~

別に欲しかったわけじゃなかったんだろうけど、

お父さんと遊べることが嬉しかったなぁ~


お父さんはサウスポーで、投げる球は超剛速球野球

キャーキャーいいながら、球を拾いに走ってました走る人




19歳で実家を離れ今の仕事に就き

帰省するのは年に2回。


父は、いつも私の帰りを心待ちにしてくれていました。

どこのお父さんもそうですが、

娘大好きなんですよねぇ~ラブラブ




そんな父もリュウマチを患い、だんだん仕事もできなくなり

家で寝ていることが多くなると、

身体の筋力も落ち、結構ガッチリしていた身体は見る見るうちに小さくなり

久しぶりに会う父が、だんだん小さくなっていくのが目に見えてわかりました。




6年前の今日。

お昼休みに、運動がてら縄跳びをしていると

使い込んだビニール製の縄跳びが切れちゃいました。


「縄跳び切れちゃったあせる

同僚にそんな話をしていた時、一本の電話が入りました。



お父さんが亡くなった


母からの知らせでした。




ほぼ、寝たきりな感じになっていた父だったので

そろそろかな?なんて、覚悟はしていたので

驚きや悲しみをそのときは感じませんでした。



実家に帰り、葬儀等もろもろのことを済ませ

1週間もしないうちに、静岡に戻ってきました。




1週間が過ぎても、いまだ実感ができなかったのか

悲しいとか、寂しいとか、そういう気持ちはなかったけど

楽しそうに手をつないで歩く、お父さんと小さな女の子の姿を見たとき、

急に父との思い出がよみがえり、

涙が止まりませんでした。





父が亡くなって以来はじめて泣きました。





もっとああしてあげればよかったとか

こうすればよかったとか、

父に対する後悔の念は年々強くなり、年々寂しさが大きくなる今日この頃です。




父が亡くなって6年。

あれから、縄跳びは怖くてできなくなりました。


なんとなくですけど・・・





今日は今のところ

あまりいいお天気ではありませんが、

雨が上がったので、お墓参りにも行きやすくなりました。


きれいなお花を持って

お父さんと少しお話してこようと思います。








PS.最後まで読んでくださった皆様

  ありがとうございましたあじさい



                                 そら