千年続いたことであっても、その祭りや宗教行事が形骸化して由来を失えば形を変えたりやめたりすることは当然。日本の因習や不条理な行事はむしろなくなって良かったものも多い。 恵方巻きなど他地域には珍妙な行事が増えるのも現代人の経済合理性という信仰によるものだ。信仰的情熱が内在しないものは無くなるのが自然だ。


祀り後継者の意味を皆さんお分かりになってない。 この檀家の童子が本来は二人必要なのに、今年はついにお一人になってしまいました。祀りを止めなければならない年は、前からわかっていたのてしょう。祀りには八白、艮を意味する童子の存在と彼らの年齢制限があります。また、壬子日の亥の刻から準備し、子刻~卯刻まで執り行われる祀りは、表面に見える裸祭りだけでは無くて、檀家が代々密かに執り行う呪術にこそ大きな意味があり、檀家以外には全く意味がない祀りなのです。このあたりのことを理解し、これからの邑のご発展を祈念いたしましょう。


黒石寺は昨年末、関係者の高齢化や担い手不足を理由に、来年以降は祭りを行わないと発表。最後となる今年は、時間を短縮して実施された。 日本は少子高齢化で、全国で維持できなくなるイベントなどが多くなってくるのではないでしょうか。 文化が失われてしまうようで残念ではありますが。


GHQの占領政策が功を奏し、日本人には個人主義が浸透し、日の丸の下や天皇陛下の元に集結し思わぬ強さを発揮できた日本人の強さは消滅した。 と同時に、地域の結びつきも軽んじられ、町内会や自治会の祭りを含む行事も今や絶滅寸前。 もちろん、うざったさもあるだろうが、これでいいのか日本人。


これから日本各地でこういうことがどんどん現実のものとなっていくでしょう。


https://news.yahoo.co.jp/articles/2fcf993fb77cc1e9a792699129c037b8a8129a17

2024年2月19日 月 10時44分配信


「ジャッソウ、ジョヤサ」。男たちの威勢の良い掛け声が山々に響いた。岩手県奥州市の黒石寺の伝統行事「黒石寺蘇民祭」が17日夜、千年以上の歴史に幕を下ろした。御利益があるとされる「蘇民袋」を、上半身裸で下帯姿の男衆が激しく奪い合う争奪戦が繰り広げられた後、参加者からは「今年で終わりにしたくない」「来年も続けてほしい」と祭りの継続を望む声が多く聞かれた。


黒石寺は昨年末、関係者の高齢化や担い手不足を理由に、来年以降は祭りを行わないと発表。最後となる今年は、時間を短縮して実施された。 午後6時、下帯姿の男たちが山内川に入り、頭から水をかぶって身を清めると、暗闇の中を角灯を掲げて薬師堂などを巡り、五穀豊穣(ほうじょう)などを祈った。 午後10時には「ジャッソウ、ジョヤサ」の掛け声が突然、罵声と怒声に変わる。男たちが蘇民袋を手にしようと、体中から真っ白な湯気を立ちのぼらせて激しく体をぶつけ合った。 参加した地元の公務員、佐藤幸善さん(39)は「痛かったけれど、みんなが一つのことに夢中になれて、最高に楽しかった」。 終了後、蘇民祭の継続を望む声があちこちで聞かれた。今年の取主(蘇民袋の締め口を最後に持っていた人)になった同祭保存協力会青年部の菊地敏明部長(49)は、報道陣に「来年以降も、形は変わるかもしれないが、残していきたい」と希望を語った。 一方、藤波大吾住職(41)は「長きにわたって蘇民祭を支えてくださった多くの方々に感謝の気持ちです」と語り、存続を求める声が上がっていることについては「私は蘇民祭をやめることを決めた人間。今言えるのは、今日をもって終了となりますということだけです」と話した。(三浦英之) 朝日新聞社




https://youtu.be/IQIXRy2tMxc?si=QtTkSyitlrIZJ73G

古くからあったお店が改装されて

喫茶店になっていたり、外見は、かろうじて日本建築だが、内装は簡素な洋風になっていたり

ずいぶん変わってしまっている。

外人さんばかりの観光客。

こうなってくると、街ごとテーマパークになってしまう?

清水山荘とある看板の横にあった古いお店も

改装されて全く違うお店に。

食べ物屋さんが、増えた。

時代と共に変わっていくのは仕方ないが、この街らしさが

何かの為に変わってしまったように思う。

何かは何?考えてみるとわかってくるわけで。


この街が変わっていくように

日本の文化や風習も変わっていくということに

なっているのだろう。

それで良いのか。