https://news.yahoo.co.jp/articles/7f09f22ed76d106328ecb24963e38fff3c7877fa


能登半島地震 現地ルポ】孤立集落の82歳女性漁師の訴え「夫が建ててくれた家に住み続けたい」

コメント29件

1/16(火) 9:06配信


「この地域の9割の家が、住める状態ではない。私の家も雨漏りが酷くて、もうダメみたいです」


日刊ゲンダイ記者が石川県珠洲市蛸島町を訪れると、被災した40代女性はこう話した。自宅をリフォームした際のローンも残っており、新しく家を建てる余力はない。


「ここに家を建てても、また地震が起きて倒壊するかも。高3の息子が就職する金沢市内の会社の方から『家族で住める家を探しましょうか』と言ってもらっています。寂しいですが、故郷から移住することを考えています」


 県内の孤立集落などでは住民全員を避難させる措置が取られており、多くの住民は「もう故郷へは戻れないだろう」と断腸の思いで避難している。ライフラインの復旧も見通せない故郷に住み続けるか、他の地域に移住するか。被災者たちは重い決断を迫られている。


 それでもなお、生まれ育った場所に住み続けたいと願う人は多い。穴水町の麦ケ浦地区は、カキの養殖が盛ん。穏やかな入り江に養殖を生業にする40人ほどが暮らす。小さな集落は一時、孤立状態に陥り、現在でも水道や電気は通っておらず、残ったのは11人ほど。そのうちのひとり、馬道百合子さん(82)は3代続くカキ漁を60年以上続け、「カキを海からあげるのは重いけど、どうにかまだ私の力でもできる。ゆっくりゆっくりとやっている」と今も現役だ。


「ここで亡くなるならなんの後悔もない」

⚫夫の武雄さんが建てた丈夫な家(C)日刊ゲンダイ


夜はランタンの光を頼りに飼い猫3匹と一緒に布団に入り、暖を取りながら眠る。


 現在暮らしている家は、7年前に亡くなった大工で夫の武雄さんが建てたもの。百合子さんはこう続けた。


「1972年に建てたときに、お父さん(武雄さん)は家にいっぱい梁をかけていたわ。地震でその時のことを思い出してね、おかげで酷い揺れにも耐えた。今改めて、お父さんの写真に手を合わせました。お父さんは丁寧な仕事をしとったんよ」


 居間からは穏やかな海を見渡せる。武雄さんが残してくれた丈夫な家には、家族で暮らした思い出がたくさん詰まっている。


「先祖代々の力をいただき、ここで暮らしています。ここに生まれ育って、お父さんも3つ隣の村から婿養子に来てくれた。この村から離れるつもりはまったくない。お父さんが建ててくれた家に住み続けたいし、ここで亡くなるならなんの後悔もない。今度、上の娘が退職し、夫婦でこっちに戻ってきてくれる。今はそれが一番の楽しみです」(百合子さん)


 故郷に居続けたいと願う住民の思いを、ないがしろにはできない。


(取材・文=橋本悠太、橋爪健太/日刊ゲンダイ)


ばーちゃんの気持ち、分かる事がある。

3代にわたり、海辺で牡蠣の養殖を生業として

生きてきたのだから、毎日、潮の満ち引きや匂い、潮風、潮目、見て感じて生きて来たと思う。

旦那さんが端正こめて作った家、地ならしから基礎、

柱磨き、柱を建て組んでいくところ、おそらくばーちゃんも手伝ったと思う。屋根の梁の話も、ずっと見ていたからわかる話。

家を見れば、旦那さんをいつも感じて思うはず。

立派な家、震災にも耐えたのに。

大工さんの腕と技量が良かったから残ったのだよね。

この家の作り、材料、柱の組み方を調べれば、木造住宅であっても震災に耐え得る家が作れる可能性があると思う。

なぜ、みんな、そこに気づかないのだろう?

この地区の震災被害状況に重ねて、家の立地条件も見て考える必要はあるが。

ばーちゃんはね、この土地を離れてしまうと、心身の調子が狂う事を、感じていると思う。

猫達のご飯や寝床も心配になってしまう。

避難する事については、必要である事は、わかっていると思うけど、自分と猫の命の危険性を薄々感じているから、出たくない。


海と共に先祖から生きてきた人を

街中の避難所に連れていく事は

どういう意味になるのか。


ガラパゴス諸島からイグアナを連れて来て

都会のコンクリートジャングルで飼育する事に

なると思う。


わかるかな?


それくらいに危険な事になる。

イグアナの心身にとり、多大なストレスになる。


せめて、海面が見えて、海の風、潮の匂いがする場所に

連れて行く。


ばーちゃんが生きる為には、身体に染み付いた経験値を

活かせる環境が必要。


潮の匂い、海の様子、季節により変化する風の様子

これを感じて生きる人だから

それが感じられないと、元気も出なくなるんだ。


天空の城ラピュタでの台詞


土に根をおろし、風とともに生きよう。

種とともに冬を越え、鳥とともに春を歌おう。


これがわかるから

海と会話して牡蠣を育てる事が

できる。

きっと美味しい牡蠣を育てていたはず。


和倉温泉の料理にも、出ていたかもしれない。


震災にあった海辺の地域は

車で通過しても何もないと感じると思うが

それだけ手付かずの自然が残っている場所だから

牡蠣の栄養になっている微生物も

たくさんいたのかも

山からの養分が海の生き物を育てているから

そんな話も、ばーちゃんはたくさん知っていそうだ。


都会の人も、観光に来て

美味しい牡蠣を食べる事ができていたかもしれないのだよね。


和倉温泉は、宿泊費が高いから

対岸から眺めた。


美味しい海の幸が

毎日、お客様に


そう思った。

それも自然の恵み。


ばーちゃんの気持ち

わかる。

離れたくない気持ち。

涙が出るなぁ。


先祖からの教えも

引き継いでいただろうから。