ATSUSHIさんがTAKAHIROさんやメンバーに

本音を言えなかった時があった事。



僕も同じように感じた時がありました。

同時にドクタークレヨンの二人も僕への

本音を言えなかった事も多々あったと思います。




旅の時は特に物理的な距離が近すぎて

全く別の人生を歩んでいた三人がずっと

一緒にいると耐えられなくなる時間も

ありました。




道の駅で二人と一切話さない日を作ろうと

湊かなえさんのリバースという本を一日で

読んでしまった時があったり、

相談相手がいなかったので地元の友達に

電話したりして孤独を埋めようとしてました。




今思えば、僕が無駄にプライドが高くて、

二人に寄り添う器が無かった結果、勝手に

孤独になってしまったように思います。




極め付けは九州で声が出なくなった

時です。

ATSUSHIさんのこの本でも自分の声が

上手く出せなかった時に自分のアイデンティティを失ったと書いていました。



歌を歌えない自分は世の中から必要と

されないんじゃないか。

そう書かれてました。



僕も同じように九州の鹿児島県で

病院に行って、先生から

「ポリープになりかけてるから歌を歌わないように、最悪手術をしないと治らないかもしれない」と告げられた時に

自分のアイデンティティを失いました。



日本全国の旅のスケジュールは既に

決まっていて、

九州でも幼稚園や施設、バーでのライブが

決まっていました。



メンバーに恐る恐るこの現実を伝えて、

二人はsorato無しでもやるしかないから

やるよ!と前向きに応えてくれました。




当時のけんたや隆太の自信に安心した反面、僕の存在意義が無いのかと落胆した

のも覚えてます。



リーダーがいないと僕らはライブできないですよ!とケンタに言って欲しかった自分がいたのも事実です。



承認欲求を満たす自分のただのエゴですが、

当時の僕は自分がそこに居る事の意味を

見失ってました。



ケンタと隆太は2人でも頑張ってくれて

路上ライブは決行しました。

僕はその間ビラ配りをしていました。



二人だけのドクタークレヨンでも

ありがたい事に人は止まってくれて、

安心な気持ちと自分はやはり要らなくても

いいのかと落胆する半々の気持ちを持ちつつ、ビラを配ってました。



アーティストとスタッフのような

関係性に変わったようで更に自分の

居場所を失っていました。



沖縄で大変お世話になった方から

「かつやがいるようでいないんだよ。」

と率直な意見を言われました。



自分が一番分かってました。

ドクタークレヨンに自分がいるようで

いない。



そんな気持ちを持ったままライブをしていた事、伝わってるかは分かりませんが、

九州の方には大変ご迷惑をおかけしたなと

今でも思っています。



僕と同じような心情を

ATSUSHIさんがこの本に記していて

僕もあの頃の感情を思い出したので、

率直に書きたいなと今回のブログ更新に

至ります。



旅は表面上はトントン拍子で周ったように

見えますが、内面はいろんなプラスとマイナスの気持ちがありました。



だからこそ僕の30年の人生の中で

一番良かったと思える半年間になりました。



ネガティブな感情というよりは

人間らしさを実感した旅でした。



生きているとそうあんなにいろんな感情が

生まれる事はありません。



旅が教えてくれた事です。



そしてこの本には、

ATSUSHIさんとEXILEを途中で辞めた

清木場俊介さんの10年ぶりのライブ共演の

事も書かれていました。




僕は偶然にもこのライブに行っていました。

EXILEのライブには一度も行った事がないし

16歳くらいの頃に第一章のEXILEが大好きでしたが、それからは熱は冷めていました。



初期のバラードを歌うEXILEが好きでした。



たまたま友達が誘ってくれて

ATSUSHIさんのソロライブの東京ドーム

公演へ足を運んだのです。



そこでまさかの清木場俊介さんがサプライズでゲスト登場して第一章のEXILEメドレーを

歌うなんて。

奇跡の瞬間に立ち会えた喜びを今でも

覚えてます。



そしてあの頃は感動したのと同時に、

ATSUSHIさんの懐の広さが凄いなと

思っていました。



正直、清木場さんがEXILEを辞めてATSUSHIさんや当時のEXILEメンバーは大ピンチだったと思います。



辞めていく清木場さんを快く送り出したかと

言うと難しかったと思います。



そしてそれから逆境を乗り越えて、

大躍進をしてEXILEは日本を代表する

大きなグループになりました。



ATSUSHIさんもソロで史上初の6大ドームツアーをやるモンスター級のアーティストになったのです。



比較する事ではないかもしれませんが、

清木場俊介さんとのアーティストとしての規模は圧倒的にATSUSHIさんが上です。



音楽活動をしていた側の視点から見ると

集客力はそのアーティストの数値的な

価値を意味します。




そこでATSUSHIさんが清木場俊介さんに

ステージを用意してあげたんだなと

勝手に思ってました。



しかしこの本に書かれていたのは、

SHUNちゃんが一緒のステージに立ってくれたと。


清木場俊介さんがEXILEを辞める時に

また同じステージでライブをしようと

約束をしたそうです。


「いつでも戻っておいでよ。また一緒に歌おうね。」と



上から目線で清木場俊介さんに共演する

機会を与えたのではなく、ATSUSHIさんが

待ち望んでいた約束の時間だったのだと。



そのステージでは観客と二人が一体化した

瞬間が訪れました。



僕は16歳のあの頃に帰って、

自然とあの頃のEXILEの曲を二人と

周りの全員と歌っていました。



あの時の感覚はライブを観ている僕たちから

しても味わった事のないような思い出と絆に包まれるような時間でした。



そんな当時の僕がライブを観て感じた事と

今この本でのATSUSHIさん目線での心情を

照らし合わせながら「歌」ってすごいな。

歌って最高だなと改めて思ったという話です。



今は歌う機会はありませんが、

またどこかのタイミングで歌いたいな。



YouTuberのレペゼン地球の社長が

すごくいい事を言っていました。



やりたい事をやる為には、

やりたくない事をやらないといけない。



すごく流行った「やりたい事で生きていく」

という言葉は、

「やりたい事をやる為にやりたくない事を

やって生きていく事」だと。



僕もそのための今のビジネスの日々だと

思っています。

やりたい事をやる為の今があると。



それではまた!