皆様お久しぶりです。
僕です。ドクタークレヨンのソラトです!




緑背景失礼ww
写真は撮影時のやつでして。。
そして29歳のおっさんなのにアプリで
盛ってます。。許して下さいww



ここ数ヶ月でコロナの影響で世界が
一変しましたね。
こんなにも日常はすぐに変わって、
世界は変わってしまうんだと痛感しました。

今僕らができるのはコロナにかからない事と
これからの世の中をどう生きるかだと思います。
当たり前だった事が当たり前じゃなくなっていくそんな時代に僕らは生きてます。
前向きに乗り越えていきましょう。


久しぶりにソラト登場したと思ったら
めちゃくちゃ真面目な入りやないか!wwと
大半の人が思ったと思います。
そうです真面目なんです。←


ドクタークレヨンを休止してちょうど1年半
くらいかな?
あっという間のようで、三人で一緒に住んで
音楽をしてた頃が昔に感じるような不思議な
感覚です。

海外ドラマでいうシーズンなんちゃらみたいな
感覚に近いかもしれません。
18歳からの読者モデル時代も合わせたら
今シーズン何なんだ!って感じですがw


期待させるのもあれなので最初に言っておきますが、ドクタークレヨンが活動を再開する報告ではないです。そして解散する訳でもありません。


ドクタークレヨンは僕も分からないけど、
いつかまた三人で歌える日が来たらいいなと
は思ってます。でも今ではないと思ってます。


ここからは正直に今の僕の気持ちを
伝えていきます。


歌が小さい頃から好きで、家でもずっと歌って
ました。
学生時代も友達を誘ってはカラオケによく行ってました。
そして東京に来て、自分の歌のレベルでは通用しないと決めつけていたのですが、その頃一緒に
住んでいたしのさんに相談したら、
諦める前に一回オーディションだけでも
受けてみれば?
と言われて、確かに!試合に出ずに負けを認める奴があるか!と思い、
偶然にも音楽プロデューサーと会う機会があったのでそこで僕の歌を聞いてもらい、運がいいことにAngryCatsの結成が決まりました。
そこでギターの隆太と出会いました。
彼がいなかったらドクタークレヨンは
誕生してません。


それからバンド活動をしていましたが、
なかなか音楽の世界は難しく
結局はAngrycatsは解散になりました。
解散後はソロで歌ったり、バンドをヘルプで雇ってライブをしたりしてました。
あの頃はJPと一緒にライブをしたり、
個人でギターの綾部君とアコースティックライブをしたり、NOeRというバンドを結成したり、色々と試行錯誤してました。
僕以外がヘルプのバンドメンバーでみんなにギャラを払って、ヘルプの人は先に帰るので最後に一人でライブハウスを出るのは寂しい気持ちになってたな。
正式メンバーで同じ夢に迎える人達と音楽したいなーと心底思ってました。


そしてその後にリュウタとケンタと
ドクタークレヨンを結成!
僕は25か26歳で歳的にもいい歳だったので、
このプロジェクトに全てを賭けようと思いました。そして日本全国に出ました。


日本全国の旅は僕の人生史上最高の時間でした。
29年間生きてきてあの半年間が最高の瞬間だと
胸を張って言えるぐらい
心が動かされる場面がたくさんありました。


今僕の事を気にかけてくれたり、
連絡をくれる人も旅の中で出会った人が多いです。旅がくれた最高の贈り物です。
今もたまにドクタークレヨンのYoutube動画を
観たり、あの時毎日つけてた日記を読み返したりして、あの頃の気持ちに浸る時もあります。


そして日本全国の旅を終えて、
eggmanでのワンマンライブも無事に実現!
その後に某大手芸能事務所からスカウトの話
もあり僕らは努力して行動を起こせば、
見てる人は見てるんだなと確信しました。
一人で駅のホームで「やっとこの時が来た」
と今までのいろんな感情が込み上げてきて
涙を我慢した事を今でも覚えてます。
やっと親にいい報告ができると思ってました。


しかし現実はそう甘くなく事務所のお話は
初めからなかったかのように
一瞬にして無くなり、ドクタークレヨンも日に日にライブの集客が減って収入も減って生活も厳しくなって三人のメンタルは限界に来てました。


心に余裕がないと活動も人間関係も難しいです。
そんな日々が続き正直僕は旅の時のような情熱はどこかに行ってしまいました。リーダーとしての役目を果たせていなかったと思います。

その中でも打開策を提案したり三人で色々と
話し合いましたが、
結局は今はそのまま続けても三人にとっていい時間には出来ないと判断して活動休止を決意しました。


活動休止後は毎日ボイトレをしながら歌と向き合ってました。
貯金もほぼ無かったのでバイトを始め、久々に社会に戻りました。


始めに経験したことがない職業を選んでみようと思い、コールセンターのアルバイトを始めました。

コールセンターはマニュアルがみっちりあって、
みんなの前で実技テストがあったりで、
久々に社会復帰した僕からすると重労働でしたw
しかし講師であるSさんという方の仕事への情熱がめっちゃ伝わってきて
僕も全力でこのSさんの情熱に応えようと休み
時間も予習復習をしてました。
あのソラトがです(笑)


そしてバーの店長をやらないかというお話を
他の方からいただいて、
僕はそのコールセンターを研修のうちに退職しましたw
最後にSさんと交わした固い握手は今でも覚えてます。


それから一人で店を任される事を経験しお酒の原価やメニュー作りや全力の接客やたくさんの事を学んで、僕は日に日に音楽活動をしている自分
からビジネス志向な自分に変わっていきました。


店の営業前に毎日ボイトレはしてましたが、手術で失った音域は僕の努力量では戻ってこず、
歌うことが苦痛になっていました。
小さい頃から歌うことが大好きだった自分が歌うことが嫌いになっている。
自分が一番驚いたと同時にショックでした。
歌えてた曲が歌えない。お客さんに歌をリクエストされた時も苦痛でしか無かったです。
めちゃ努力をすれば克服をできたのかもしれませんが僕は心が折れていました。
21歳から燃やし続けた一流の歌手になるという直感的な意思や目標は既に無くなりつつありました。



そしてバーの店長を半年間くらい経験し、
昼の職につきました。
オフィスに朝出社し、1日中パソコンをいじり夕方に退社。
オフィスで働いたことがない僕からするとまるで未知の世界でした。


エクセルの使い方や取引先との商談や打ち合わせ。
自分は今まで世間的に言えば特殊な世界に
いたので、
何もかもが新鮮でワクワクの毎日でした。


そして今ドクタークレヨンの活動を休止して
1年半が経ち、
僕がハッキリ言えるのはあの頃のような音楽で食べていくんだ!
と思えるような強い意思はありません。
歌を歌う僕を長年応援してくれた人やこれまで支えてくれてた人達をガッカリさせる事にもなるかもしれないけど、
これは僕の正直な気持ちです。
歌の夢を叶えられず本当にごめんなさい。


そしてみんなが思うような、みんなが期待する
ような僕では無いかもしれないけど、
僕は新たな目標を見つけました。


それは”旅”です。
日本全国を回って感じた、あの時芽生えたいろんな感情。僕が一番生きてる実感がありました。


旅や人との交流、まだ見たことが無い景色。
日本そして外国。
僕はいろんな景色を見たいんだと思いました。

そんな想いから”侍トラベラーズ"という
Youtubeチャンネルを
今年の3月から地元の親友達と開設しました。
自分たちの好きな事で生きていくためです。

外国人をメインに発信していくチャンネルでは
あるので、
みんなからするとつまらないかもしれませんが
興味がある人は
是非チェックしてみて下さい。


今は不幸にもコロナウィルスのせいで、
色々回ったり出来ませんが、
落ち着いたらいろんな景色を
見に行こうと思ってます。


そしてこの1年半で培ったビジネススキルや
知識もいろいろ活用できる人生にしていこうと
考えてます。


みんなにこれからの僕を応援してください!
とは偉そうに言えないですが、
これが今の僕の気持ちであり、
考えである事を今回伝えたかった。



ドクタークレヨンの二人はそれぞれに頑張ってる話は聞いてます。

リュウタは作曲が好きなので今でも歌手に
曲提供をしてたりしてる
みたい。隆太とはたまに会います。
今も熱くお互いの意見を交わしてます。


ケンタはソロで頑張ってるみたい。
ケンタは旅に出た頃の僕の歳になってて、
感慨深いと思います。
ケンタとはなかなか会う機会がないけど、
時がきたら色々語りたいなと思ってます。



ドクタークレヨンは時がくればまた三人で歌いたいな。
今よりも時間的にも経済的にも余裕ができて楽しく音楽ができる自分になった時にまたあの頃の
ようにドクタークレヨンの歌を三人で。
今でも僕たちを覚えてくれてたり、気にかけてくれてる全ての人に感謝です。
本当にありがとうございます。


めっちゃ長い文章になっちゃったけど、
以上で僕からのご報告でした。
僕は変わらず元気なので、みんなも元気でいてくれたら嬉しいです。
この窮地を乗り越えましょう!


ドクタークレヨン ソラト