昨日、中学3年生の授業でした。





ある生徒が、問題を解けるようになって喜びを噛み締めていたのです。



自分で丸付けをしていて、正解の度に目をギュゥ~と閉じて喜んでいましたぴかぴか(新しい)















その生徒は、学校でも「頭が悪い子」というイメージが付いているそうです。





その子が塾へ入ったのは3月です。



3月中は体験授業ということで、4月から正式に入塾しました。





その頃の様子といったら、そらもう、、どうしまひょ。



というくらい出来ませんでしたww



九九もいまだにスラスラ言えません。





中1、中2とまともに勉強して来なかったようで、、、





でもわたしは自信がありました。



この子に喜びを与える自信です。







わたしの授業を受けるようになって



「難しいけど楽しい」



というようになりました。







難しくても楽しいことはやるんですよね、人って(*^^*)





なので、自分がわからないところがどこかがわかってくるんです。





今、因数分解をやっていますが、そもそも「因数」て何?





これから教えるんです。



この言葉の定義をしっかり教えない先生も多いですが。





「分配法則」ってなに?





じゃあ、「同類項」まとめられる?



「項」ってなに?



とわかっているところまで遡ります。



そこから言葉の定義から教えます。





「素因数分解」ができても「素因数」が「素数の因数」だとわかっているか

じゃあ「素数」とは?「因数」とは?を説明できなければ

「たまたま答えが出せた」というレベルでしかないんです。



これで中学の定期試験では点数が取れるでしょうけど

「本質」を理解させないで点数が取れればいいということを習慣にしていくと

あとあと伸びません。



社会にでてからも、学生の時に勉強した経験が生かされません。



目の前の生徒が大人になってから困るような習慣はつけさせないようにしています。





「本質」がわかっていれば、解決策は考えだせます。



でも一つの「やり方」を覚えているだけでは、どうでしょう?



社会に出たとき、たくましく生きていけるでしょうか?





わたしが勉強を通して育てたいのは、経験や知識から智慧の絞れる人間です。





学生のころの勉強はその「経験」と「知識」に当たります。





勉強=問題を解くというのは問題解決の「経験」なんです。





その問題解決を自分の力で出来るようになって行く子は

たとえ学校の成績が良くなくても、たくましく生きていけると思っています。





わたしは「成績をあげる」ことを最終目標としていません。



関わる子どもたちが、知恵を絞って人生を謳歌できる人間になることを目標としています。





そして、今、例えどんなに成績が悪くても



絶対に出来ると信じるのです。



生徒の可能性を信じるのです。





それが出来ない先生や親御さんがいらっしゃいます。



それは生徒を信じられないのではなく



自分を信じられないんです。





では、わたしはわたしの何を信じられるのか。



数学の知識ではありません。



指導力でもありません。



わたしは目の前の生徒を愛し続ける自信があるんです。







信じるというのは一つの愛の形だと思います。





この世は愛がすべてです。





引き寄せだとか波動だとか、すべては素粒子の周波数の問題です。



その周波数を変えるのは人の思考だということも

多くの科学者が言っているそうです。



もちろん悪い思考は悪いように変えます。



良い思考というのが愛です。



あなたの愛が、目の前のお子様や生徒の可能性を引き出します!





ご自身が素晴らしい愛の持ち主だということを知ってください!!

(*´▽`*)ハート





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