クリスの青春

 

※ミロシェビッチ大統領と(右端クリス)

 

 

あれ、なんか今、

修行やら、ドメFやら、

楽しんでいますけど、

コロナがあるとは言え、

 

日本は平和です。

 

自分が、20代後半、1990年代前後は、

日本が、絶頂から転げ落ちるとともに、

 

ベルリンの壁崩壊

 

湾岸戦争

 

ユーゴスラビア紛争

 

ソ連崩壊

 

と、世界が、まさに、

コペルニクス転回を遂げた時代でした。

 

その渦中で、

和平の仲介者として、

東奔西走していた、クリス。

 

今回は、ミロシェビッチ大統領に面会編。

 

※ウィーンの街並み(無料画像集より)

 

かつて、「バルカンの火薬庫」と言われ、

オーストリア皇太子暗殺(サラエボ事件)、

第1次世界体制勃発の契機ともなった、

ユーゴスラビア連邦共和国。

 

戦後は、東西両陣営に属さない、

「非同盟の父」チトー大統領の下、

諸民族の統合を保っていましたが、

その死後、連邦は事実上崩壊。

 

スロベニア、クロアチアが、連邦離脱。

1993年は、各民族が混在する、

ボスニア・ヘルツェゴビナが紛争状態。

 

なんとか、バルカンを鎮めなくては。

 

ANAで成田を出て、ウィーンに到着。

そこからは、ハンガリー経由、

陸路でセルビア、ベオグラードに。

 

※当時の行程(推定です)

 

当時、セルビアは、

ボスニア・ヘルツェゴビナでの、

大虐殺が世界から非難され、

EU諸国の制裁の対象になっており、

飛行機も飛んでいませんでした。

 

その頃は、スマホもデジカメもなく、

画像があまり残っていないのですが、

パスポートに残る、痕跡。

 

 

オーストリアとハンガリーの国境の街、

ヘジェシャロムで交付された、通過ビザ。

 

やがて、ハンガリーからセルビアに入り、

また数時間かけて、ベオグラードの市内に。

 

 

※カレメグダン公園(拾い画像です)

 

ようやく、ここまで来ました・・・。

 

民族の悲しみと苦しみが、

深く歴史に刻まれた、バルカン半島。

 

ローマ帝国

 

オスマントルコ帝国

 

オーストリア・ハンガリー帝国

 

いつも、支配者の踏み台にされてきました。

 

 

このカレメグダン公園も、

かつてのオスマン帝国の城塞です。

 

公園のベンチで肩を寄せ合うカップル

 

君たちを守りたい この光景を守りたい

 

バルカン半島に新しい歴史、

笑顔と喜びに満ちた歴史を創ろう。

 

翌日は、いよいよ、

ミロシェビッチ大統領に面会します。

 

 

【続く】

 

 

※おことわり1

本稿は体験に基づいていますが、

個人のプライバシーに配慮して、

人物名や設定は修正してあります。