小学生の頃の僕の一日と母の作戦。


僕は小学5年生の時に起立性調節障害と診断されました。


今日は、そんな僕の小学生の時の一日のルーティンを綴りたいと思います。


僕の行動は昼から始まります。

ODと診断されてから中学3年生辺りまでは、朝という概念が昼でした。では何時に起きていたか、というと昼の11時過ぎぐらいです(人によっては、11時は朝じゃないの?と、いう方もいるかもしれませんね)


そこから僕の一日が始まります。


まず起きたら朝ごはんならぬ昼ごはんを食べるのか…というとそうではありません。起きて、頭が覚醒しだしたら母と自転車で買い物に出かけていました(このとき学校生活は心身共に辛かったので、不登校でした)。でも最初は買い物になんて行きたくなかったんです。しんどいですし、なんといっても学校に行っていない後ろめたさがあったので。

でも母は僕の健康を案じて、なんとか少しでも動いてもらおうと工夫してくれていたのです。


ここから母の作戦行動が始まります。


まず母がした最初の作戦は、とてもかっこいい自転車を僕のために買ってくれたことです。もちろん僕の家は決して裕福ではありません。母が貯めた貯金で買ってくれたのです(感謝)。僕はすぐにその自転車に乗りたい!乗ってどこかへ出かけたい!と思いました(この時かっこいい自転車の魅力がめんどくさがりの僕に火をつけ、不登校への後ろめたさを消しさりました)。しかしそんな嬉しそうな僕を見て母にも火がついたのです。僕が飽き性ということは母もよく理解してくれています。ですので、母は僕が飽きないように、スーパーまでの行き道をいつも変えて、少しでも新しい道を用意してくれていたのです。このとき僕は毎日買い物について行くのが楽しみで楽しみで、しょうがなかったです。しかし母はまだ先を見据えていました。僕も最近知ったのですが、買い物先でも母の作戦は働いていたようです。

いつもより遠 遠回りでスーパーについた時は決まって、お弁当を買ってくれました。もちろん高いお弁当ではなくごくごく普通のお弁当です。僕はそのお弁当がすごく楽しみでした(今考えたら普通のお弁当と言ってもとんでもない贅沢ですね)。ですのでそういった楽しみを母は沢山用意していてくれたのです。


僕のために。


そんなこんながあり、スーパーから帰ってきたら13時過ぎごろに昼ごはんを食べます。そのあとはダラーとしながら時間が過ぎていきました。そんなの勿体無い!と思う方もいるでしょう。僕も成長してから少し思ったこともありました。ですが、あの時は本当にしんどかったのだと思います。写真を見返しても今の僕と顔色が全然違います。かなりやつれています。

ですので無理せずに、ごろーんとしていたのはある意味よかったのかもしれません。そのときに無理をしていたら、今、大学には通えていないほど症状が悪化していたかもしれないからです。出来るだけポジティブに考えるようにしています。そのあとは、できたら学校の勉強をして、できなかったらごろごろを続けていました。あとは本当に時間が過ぎて夜になり、ご飯を食べ、お風呂に入り、夜はゲームをしていました。


夜はまぁまぁ元気になるので、寝付けずに夜中の2時ごろまでずっと起きていました。

もちろん、早く寝る日もあります。ですが、朝起きるときは決まって11時過ぎぐらいにはなってしまいました。


ですのでODの子は、いくら早く寝たとしても、朝はしんどいんです。

ODの子に早く寝ないから朝起きれない!と言うのは大きな間違いです。そもそも夜寝られないというのと、いくら早く寝ても結局起きられるのは、昼過ぎになってしまうからです。そんなこんなで、夜は2時過ぎに就寝し、次の日の朝(昼)を迎えるのです。



お疲れ様です。長々とした文を最後まで読んでいただきありがとうございます。少しばーーーと書いたので読みにくい箇所がいくつもあったと思います。今後徐々に直していきますので、どうぞ温かい目で見ていただけたらなぁと勝手に思っておりますm(_ _)m


今回は小学生の時の一日と、母の作戦について、簡単に話をさせていただきました。どうでしたか?こんな生き方もあるんだなと思っていただけたでしょうか?


人間はしんどければしんどいほど、何か小さな希望でもそれは大きな、とても大きなに見えます。

ですのでODの子を持つご両親へ。

息子さん、娘さんに小さな希望を与えてあげてください。それは子どもにとってとてつもない光に見えるはずです。ご両親が大変なのもわかります。どうしたらいいのかわからなくなってしまうことも。ですが一番辛い。と感じているのは紛れもなくODになっている本人です。ですので暖かく、それでいて強く。我が子を導いていってください。いつかはそれが子どもの生きがいになるはずです。


それではまた。次のブログで。