お汁粉、ぜんざい。 | 摂食障害・私の今までとこれから…

摂食障害・私の今までとこれから…

摂食障害歴.約20年目(2021)どこかに何かを言いたい。ツライものを叫びたい、誰かと共有できたらな、と思い、ブログをはじめました。
私自身、日々悩みながら小さな発見もありつつ暮らしています。
今までの事とこれからを綴っていきます。

ダメだ、
ごめんね、お父さん…て思うと苦しくなる😭

書きたいけど、なまじっか思い出さない方が良いのでは?とも思う。

#死別 という言葉の中身を実感した。
Twitterを見てて、ぼんやりした感じだったものが、あぁこういう感じなんだな、って。

お母さんの時より堪えてる。
最後の親だからだったのか、
闘病を間近に見てきたからなのか、

明け方、施設から電話がかかってきた時間に目が覚めると、呼吸が苦しくなって過呼吸。
場所を変えてみたり、やり過ごしたり。
スマホ見たり、
数ヶ月前より、少し発作みたいなの減ってきたかな?という感じ。

道を歩いていても、あぁーこの道…とか、
料理や食事も、あぁこれ、お父さんって思っちゃう。

お母さんにはだいぶ依存してたのになー…
こんなお父さん…!!ってなるなんて(-∀-`; )

きっと恵まれてたんだな、
育ててくれて、守ってくれて、
この数年は良き相談相手だった。

なるようにしかならんが…
私はどう生きていけばいいんじゃ…



小豆煮た。


ぜんざいで食べたり、煮詰めて、あんこにしたり、

鍋いっぱい、

ひとりで、ほぼ食べきってしまったー
( ´゚д゚`)アチャー
許容範囲だけど。
いつかこのジレンマとれるのかな。

お汁粉は、お父さんの思い出!
小学生の時、お母さんが入院中、おやつで作ってくれた。

冬の寒い日で、学校から帰ると、表で車出して仕事してて、
お父さん、寒くてあかぎれとかなってた、多分。
「おやつあるよ、おしるこ」って言ってくれたのかな。
当時、おばぁちゃんが、まだ田舎にいて、小豆や米や野菜、作って送ってくれてた。
その小豆、煮てくれた。

お母さんが初めて入院して、仕事やおさんどん担ってくれた。
お母さん>お父さんって感じだったし、
女の子はそんなもんだよなー
お父さん自身も私も、お互い接し方みたいなのが分からず。
小学校高学年だったし、思春期に入りそうな感じだし。

テーブルに置いてあった、おしるこ、
ちょっと温かいけれど、冷めはじめていて、餅も少し固くなりはじめて、ちょっと塩っぱい!な感じだった。
でもなんか嬉しくて悲しくて寂しくておいしかった。

おいしいって、特別おいしいものや、高級なものじゃない、
なんていうか、すっごくおいしい訳でもないけれど、日常のものって、安心する。
なんかその安心感が欲しい。

その価値観が合わず、今現在苦しい。

お父さんのお汁粉、ピカイチおいしい訳でもなかったが、失礼だけど、おいしいって味だけじゃない。

なんていうんだ、
うまく表現出来ないけど誰かに伝えたい😅

私が、いっつも思い出して、最後に食べたいのは、

お父さんのお汁粉と、マーマレードパンって、何度かお父さんに言った。
その度、あーそーなのーって言ってた(^^;

マーマレードパンも思い出が🍞

最期、うまく飲ませられなくてごめん。
怒った事もあった、ごめん。

でも多分、許してくれる。
うー…(ノ_・、)