【命を守ること、尊厳を守ること】
昨日の婦人科では
検診をしてポリープをとりまして
子宮筋腫が2つ大きくなってるけど
年齢的に手術してまでとる必要は
まだないかなあという
微妙な大きさだと言われました。
  
 
もう少し大きくなっていたら
子宮をとる、ってのも
考える必要があるけれど
閉経までの年数を考えたら
そこまですることもない、と。
 
でもってついでに子宮頚がん検査も
しておきますねー、と
カーテンの向こうでは
何やら作業が続き。
 
 
この年齢になって
今私は自分を受け入れられているから
この検査もなんとか耐えられるのですが
  
 
それでもできるだけ受けたくなくて
おそらく4、5年ぶりにくらいに
婦人科検診を受けに行ったのです。
 
 
だから、性別に違和感がある
若い子たちが
「これ受けるくらいなら死ぬ」というのも
わかるのです。
 
 
だけど、だからと言って
その子の命を守ることを考えたら
やっぱり受けなきゃいけない時もあるから
  
 
どうしたらこの検査を
なんとか耐えられるレベルでいいから
『身体には必要だから受ける』
と思えるように
 
 
身体と心のジェンダーを
分けて教えていくかが
 
 
とても大事だなあと
改めて思いました。
 
 
これを受けること
女性の体を持つことが
 
あなたの『人間としてのジェンダー』を
否定することにはならないよ、と
 
 
女の子だから
男の子だから
ではなくて
 
 
そういう機能を持つ身体だから
メンテナンス方法が
ちがうだけだよと
 
 
そしてあなたがあなたであること
あなたが何をどう感じどう考え
どう行動するかは
 
 
『身体』が男の子か女の子かで
決まるものじゃないんだよと
 
 
体は単なる入れ物で
 
あなたという人間は
入れ物じゃなく
中身で決まるんだよと
 
そういう話を
小さい頃からしてあげたら
少しはちがうんじゃないかと思うのです。
 
 
 
 
最近流行の
『男の子の育て方』
『女の子の育て方』
 
 
確かに、
そう分けた方が
わかりやすいのかもしれませんが
 
 
その裏に潜む
思い込みによる弊害も
考えなくては。
 
 
『うちの子は男の子なのに
男らしくなくて』
 
『女の子なのに
落ち着きがなくて』
 
 
分けたことでまた
それに当てはまらないことに
悩むだけですし 
 
 
 
その枠に当てはまらない子にしたら
迷惑な話でもあります。
 
 
目の前のその子を見る目に
『男の子はこう』
『女の子はこう』という
色眼鏡をかけることになるから
 
 
見えるはずのものが
見えなくなっちゃうこともある。
 
 
それを踏まえて
参考程度に
(あくまでも一部
そういうところもあるレベルで)
 
 
目の前の子どもそのものを見て
行けたらなあと思うのです。
 
 
ジェンダーとは奥が深いのだ。
  
 
▼そんなことを考えながら
140文字に収めるのは至難の業です▼
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