「ここが頂上か…!」
「それで降りてくる人がっかりしてたんだ…」
三輪山である男の方が頂上に着くなりそう言った。
私は思わず笑った。
その言葉が面白くてたまらなかった。
なぜなら…
私も時々感じるからである。
「見かけに惑わされたらダメです…」
「ここには沢山のものがあるんですけど…」
「感じ無いとそういう風になるです…」
日曜日…
周りの方々がきょとんとしていたので、
私は助け船のつもりでそう言った。
「手とか感じ無いですか?」
彼は友達の女性と来ていた。
ざっくりと三輪山の状態を説明しておいた。
(下りる時に追いついて、また話をするのだが…)
彼の感覚は間違っていない。
むしろその感覚は鋭いと言える。
しかし、あからさまに口に出すと、
周りの方がびっくりする。
神の心(波動)は平等に降り注いでいる。
それを感じるか、感じ無いかで結果が変わる。
何も感じ無ければ…
「何もなかった…」
そういうことになる。
感じる事が出来れば…
「気持ちよかった…」
「なんかお話しできた…」
さらに…
感動のエネルギーを生み出せば、
完全に繋がることも不可能では無い。
現に私はそう言う方を何人も見て来ている。
パワースポットとはそういう「場」なのである。
その最初の分かれ目は、
あると思うか、無いと思うかである。
無いと思えばそこで終わり。
その先はない。
しかし、今は感じ無くても…
あると思っていれば、その時は突然に来る。
エネルギーの上昇と揺らぎが重なる。
その瞬間に奇蹟は起きるのである。
(奇蹟ではないけれど、あえてこう書いておきます)
その力は誰にでも存在する。
私はそう思うのである。
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