お年寄りの昔話…
実家に帰ると必ず付き合う事になる。
認知症が進んでいる現れだと言われるが、
実際にどこまで進んでいるか分からない。
私が実家に帰って、先ずすることがある。
それは、冷蔵庫の中身のチェックである。
1月に父が入院した時に、中身を一掃した。
認知症が進むと、記憶力が衰える。
同じ物を買ったりする。
真っ先に症状として現れるのが、冷蔵庫の中身である。
この夏の帰省では、刻みネギとそうめんつゆ…
それに練りわさびが3つずつ…
「2つは良いが、3つはなぁ…」
「どうせ食べるから…」
そう言われても…
私の想いはそこにはない。
出来た事が出来なくなっている。
そちらの方である。
そして、同じ話を何度も聞かされる。
人の体験はその人のもの…
起きた事に関連して、話してくれるならまだいい。
しかし…
「それは、そうと…」
どんな話をしていても、昔話マジックを使われる。
「昔の話はもういい…」
「今の話をしよう…」
私がそう言っても、話は終わらない。
「まあ、聞けよ…」
父の経験は、父の物…
タイムラインが全く違うのだ。
(同じドラマを何回も見る方がまだいい…)
そして…
何よりも深刻な問題がここに潜んでいる。
インスピレーションが導けない。
実際は、今の話が出来なくなっているのだ。
今の話をするためには、イメージを起こす必要がある。
そのイメージを言葉に代えて、相手に伝える。
しかし…
昔話の場合は、記憶にあるイメージを言うだけである。
ここに創造性はないと言える。
会話における創造性。
それもまた、新しい世界。
今を生きる事でもある。
しかし、父の場合はそれが出来なくなっている。
変わることができない。
それは、残酷な現実が変化しない。
自らで作り上げた牢獄に入っているようなものだ。
父の姿を見ていると気付かされる。
変われることがどれだけ大切であるか…
意識が変われば、現実が変化する。
お年寄りにとっては…
それすらも当たり前ではないのである。
咲く花と、散っていく花…
全ては止まる事はない。
変わることを楽しむ…
変わることは創造である。
そして…
変われることは…
非常に有り難い、ギフトなのである。
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