三輪山のようなパワースポットでは、
連日人々が訪れ、神に祈りを捧げ、願いをする。
最近、この願いについて思う事がある。
人にはそれぞれミッションがある。
筋書きとかブループリントと呼ばれている。
しかし、生まれた瞬間、全てを忘れる。
そのミッションを楽しむ為に、忘れるらしい。
そして…
人はいつしか願いを持つようになる。
夢や希望。
形はいろいろあるだろう。
こうありたい…
こうなりたい…
だが…
もし、筋書きの内容を全て知っていたなら…
願うことなど無いのかもしれない。
言い換えれば…
願いは「迷い」なのではないか?
そう思うのである。
筋書きの上に全てが成り立っている。
それを強引に変えようとするのは、自らのエゴだ。
エゴに支配されているということになる。
もし…
筋書き通りに…
なるようになるならば…
そこには「感謝」があるのみである。
生まれて来たことに感謝…
今生きている事に感謝…
与えられる全ての万物に感謝…である。
生きている事は、ミッションが出来ている証である。
その時、置かれている状況は問題ではないのだ。
エゴに支配される…
その思考の在り方に、問題があるだけである。
こうしたい…
こうなりたい…
こうあって欲しい…
筋書きにないものは願っても来ない。
これは引き寄せの落とし穴でもある。
そこに固執することで、道(未知)に迷うことになる。
願いの本当の意味…
それは、行くべき道を見失ったシグナルなのだろう。
必要なものは必要な時にやって来る…
本当に必要なものは、本当に用意してある。
言い換えれば…
願わなくとも手に入るのである。
願いは心のシグナル。
その裏側に本当の意味が隠されている。
体験しなければならないこともある。
その先にしか、答えは無いのである。
生まれて来たことに感謝…
今生きている事に感謝…
与えられる全ての万物に感謝…
そこには感謝しかないのである。
