逸木裕氏の『虹を待つ彼女』という小説が話題になっている。
人工知能で死者の人格を再現する話のようだ。
私は読んだことがないのだが、人工知能には興味がある。
しかし…
これから書くことは、作品の内容とは全く関係ないのでご了承を…
人工知能で死者の人格を再現する。
結論から言うと、これは出来ないだろう。
人の人格は、脳にある記憶だけではないからだ。
全ての記憶が同じ物だったとしても、
それは、「似たような人」になるだけだ。
育った環境が似ている双子がいい例である。
それだけ、生命のシステムは精巧にできている。
高次元の身体とこの世界の身体。
それを繋いでいるものがある。
この仕組みを理解し再現しない限り、不可能である。
私的には、脳はパソコンのCPUの様なものだと感じている。
記憶領域は存在するかも知れないが、
その大部分は別の所にある。
湧き出すイメージやインスピレーションは、
脳で生み出しているものでない。
そのような感じがする。
今のところ現在の科学では届かないところだ。
物質レベルの話ではなく、エネルギーレベルということだ。
そうでなければ説明出来ないことが多い。
引き寄せやシンクロと呼ばれている現象。
総合意識が創り出す世界。
個人の記憶の中だけで、それらを説明することは難しい。
人はスマホに似ている。
スマホは繋がる事で、様々なことが出来る。
ネットから切り離されたスマホはその機能の大半を失う。
これに、人も非常によく似ている。
全く同じデータが入ったスマホでも、
繋がる世界が違えば全く違うものになる。
徘徊や痴呆症などは別の世界に繋がったようでもある。
また、同じ機種のパソコンでも、人のものは使いにくい。
そこに、個性が生まれているのである。
人工知能は事務処理などには向いている。
やがて、全ての役所の機能は人工知能に変わるだろう。
会社の人事評価もそうなるかも知れない。
好き嫌いがない分その方が公平かもしれない。
「部長~!部長~!」
などとゴマをする必要もなくなるだろう。
人工知能はこれからも進化を続ける。
だが、失った「生命」にはなり得ないだろう。
それは、別に存在し永遠に生き続けるからだ。
人は永遠に生き続けるが、この人生は一度きりだ。
だが、そこにこそ意味がある。
その答えは…
自分の中にだけ存在するのだ。