先日、こんな番組に出逢った。
NHKスペシャル「終わらない人…宮崎駿」
見られた方もいると思います。
一度、引退宣言をした宮崎氏が、再起動するまでのドキュメント。
私自身、昭和アニメブームのまっただ中に育った。
自分にとっても、宮崎駿という方は特別な存在だ。
私の中で宮崎駿と言えば…
「未来少年コナン」と「カリオストロの城」、
あと「風の谷のナウシカ」(漫画も含めて)が、
三つの柱になる。
興味深かったのは、この番組の中に二人の宮崎駿がいたことだ。
一つは、「偉大なクリエイター」として…
もう一つは、「老いていく一人の人間」として…
この間で揺れ動く葛藤が、克明に描かれていた。
「前と同じように集中すると、とたんに身体がごわごわに…」
「こんな体力のなくなった、力を失っていく年寄りがね…」
弱音を吐く宮崎氏。
無理も無い…1941年生まれ、今年で75才。
そこに、友の死の知らせが届く。
「ああ、時間が無い…」
時間が無いと思うのは、
自らに迫る「死」を畏れているからだ。
死に怯える一人の人間としての宮崎氏。
「どうなってんだろうね…」
「僕より絶対長生きするはずの連中が先に死んで…」
「俺、なんでこんな事をやっているんだろう…」
友の死の知らせが、それに追い打ちをかける。
どうやら宮崎氏の中に「死」に対しての、
具体的なイメージはないようである。
私には、それが意外であった。
そして、この裏側にクリエイターとしての宮崎氏がいる。
「自分が描こうと思っても描ききれないから、
どうしていいか分からないものを…」
「こいつらならやってくれるかもというだけだよね…」
CGに挑戦する時の宮崎氏の言葉。
そこには年老いた姿は感じられない。
だが、ここで再び忍び寄る…黒い影。
自分が思う様なものができない。
若きCGクリエイター達は、さすがに宮崎氏には及ばない。
私が感じたものは「観察力」や「想像力」の欠如。
風が吹けば桶屋が儲かる…
ひとつの出来事が全てに影響を与える。
目先の動きに囚われ、作品全体まで考えが及ばない。
要するに…
宮崎氏の想像を超えた映像を、提示できないのである。
紆余曲折を経て、番組が終わりに差し掛かる頃、
宮崎氏はこう言う。
「なにもやってないで死ぬより、
やっている最中に死んだ方がましだね…」
ジブリの鈴木敏夫氏は呆れているかもしれない。
「だったら引退宣言などするな…」
私も同じ意見である。
そして、もう一つ…
私はこの番組の中で、特に印象に残った場面がある。
「ああ、やっときゃよかったってことが絶対無いように…」
「やったけどダメだったほうがましなんだよ…」
「本当にそうなの…本当にそう…これは…」
作業をしながらつぶやく宮崎氏。
「あらら…言わされてるわ~」
私はそう感じた。
宮崎氏は作業をしながら繋がる人だ。
だから、鉛筆を置くととたんに老ける。
その理由がはっきりと見えた。
そして、エンドタイトル…
終わらない人…宮崎駿。
自らの宣言。
恐らくこれは宮崎氏の直筆だろう。
しかし、私はこう感じた。
終わりたくない人…宮崎駿。
このままでは終われない。
私はそれでいいと思う。
アニメの世界の頂点に立つ宮崎駿氏。
その裏側は、死に怯えるただの老人である。
それを変えるのは一本の鉛筆。
それは…
変えられない筈の、人の心をも動かすのだ。
世界中の人が、あなたの作品を待っている。
私自身もその一人である。