空の宇珠 海の渦 外伝 無欲の翼 その二十九 | 空の宇珠 海の渦 

空の宇珠 海の渦 

-そらのうず うみのうず-
空海の小説と宇宙のお話





真魚は清野の変化を感じ取っていた。
 

「変わったな…」
 

真魚が清野を見て言った。
 


「何…」
 

清野は、言葉に詰まった。
 

自分でもよく分からない。
 

その変化を知られている。
 

清野は出端を完全にくじかれた。
 

それは、真魚の手の内にあると言うことだ。
 


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「あれを見たのだ…誰でもそうなる…」
 

「その存在を疑う者などいない…」
 

「見たと言うことは…そう言うことだ…」



真魚は清野に言った。
 


「なるほど…」
 

清野は、自らの変化を分かり始めていた。
 

真魚の言葉で、答えに近づいた。
 


「見たものを疑う者はいない…」
 

清野はその言葉を復唱した。
 

その言葉が清野の中で広がっていく。
 

記憶の中の出来事を整理していく。
 

「確かに…そうかも知れぬ…」
 

真魚の言葉を清野は受け入れた。
 


「見ただけで、人は変われると言っておるのだな…」


自らの変化を清野はそのように理解した。
 

「そうだ…」
 

真魚は清野を見て笑っている。
 


清野はもう真魚を、ただの男だとは思っていない。
 

それは、清野の頭の良さを意味している。


 
「では、感じたものはどうなる…」
 

清野が感じた感覚。
 

それが記憶の中に残っている。
 

甘美な恐怖が存在していた。
 


「見て感じたものは、自らの血と肉になる…」
 


「自らの…血と肉か…」
 

体験は、全てを変える。


真魚のその言葉の意味を、清野は理解していた。
 


「なるほど…面白い男だ…」
 

「つまらない男ではなかったな…」

 
清野はつぶやいた。
 

清野の言葉が、美紗を怒らせ、闇を導く結果となった。
 

だが、それも後から考えれば、必然だと言える。
 


美紗の心が拓き、清野は考えが変わった。
 


出来事は、その一面だけで捉えてはいけない。


そう言うことでもある。
 


「田村麻呂の話…面白いが、口にすれば俺の首が飛ぶ…」
 

「そういうことだろう…」


清野は、その事実に気付いていた。
 

隠された事実。
 

隠し通さなければならない理由がある。
 

それに背くことは、この時代…死を意味する。
 


「そうだ…」
 

真魚がそう答え、微笑んだ。
 


黙っておけ。
 

真魚の微笑みはそう伝えている。
 


「この辺りの木は、あの霧のせいか…」


清野の言葉が、だんだん柔らかくなる。
 


「闇に触れると生命(エネルギー)が吸われる…」


「魂が吸われると思って良い…」
 

真魚は清野に、この場に起きた事を説明した。
 


「その木は…抜け殻か…」
 

清野はそう感じた。
 


「人であっても同じ事だ…」
 

「全てに包まれるとこうなる…」


真魚が、枯れた木を見ている。
 


その視線の先に光が舞い降りた。
 


「そうか!」
 

清野が声を上げた。
 


「蝦夷で起こった事は…」
 

清野の思考の中である心象が描かれた。
 


「何万と言う恐怖だ…」
 

真魚がそう言った。
 


「それが、田村麻呂が死にかけた理由か…」


清野はその事実を受け入れていた。
 


そして、その恐怖を想像し震えた。
 

何万の意思が呼び込む闇。
 


だが事実は、清野の想像を遙かに超えていた。
 


「それを…貴様が…」
 

清野の答えはそうであった。


 
直人から聞いた話。
 

それを知り、出来る者はこの男しかいない。
 

清野が出した答えは、そうであった。  
 


「俺は…まだまだ小さいな…」
 

清野が自らを窘めた。
 


だが、その言葉には、未来への道が示されていた。
 


「お主は一体、何がしたのだ…」
 

清野が真魚に問うた。
 


「自由な世だ…」
 

真魚がそう答えた。


「そうか…そうか…」
 

清野は、自らの心に刻み込むようにつぶやいた。
 

「あるべきもの…だな…」


「いや、なくてはならぬのかも知れぬ…」
 

「面白い男だ…」


清野が笑っていた。
 


「俺は、佐伯真魚だ」



「佐伯…か」


「だが、それはもうどうでもいい…」
 

貴族であろうがなかろうが、面白い事に変わりは無い。
 

清野は、これまでの自らの行いに呆れていた。
 


そして、自らが創造した新しい世界に、一歩踏み出した。
 


だが、まだその事には、気付いていなかった。



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続く…

-この物語はフィクションであり、史実とは異なります。
    実在の人物・団体とは一切関係ありません-