楠に宿る神。
その神の言うとおり後鬼は山の頂上に向かった。
もうすぐ日が暮れる。
だが、鬼の波動は感じない。
「はて、楠の言う所はこの辺りではなかったのか…」
木の上を跳びながら後鬼は迷っていた。

「うちは…迷っているのか…?」
後鬼はその事実に気がついた。
「結界か…」
「柊の言うことが本当なら、それも仕方あるまい…」
哀れな鬼。
後鬼はそう考えていた。
「さて、どこから間違えたのか…」
後鬼は辺りを見渡した。
空間のわずかな歪み。
大地の波動の乱れ。
それを見つけようとした。
「柊が出会ってから二十年ほど経っておるか…」
その間この山にいたのかは分からない。
「ん!」
「何じゃ…この感じ…」
後鬼が何かを見つけた。
一際高い木が立っている。
「あの木に聞いてみるか…」
後鬼が独り言をつぶやいて跳んだ。
三度ほど跳んだ時であった。
「おっ!」
急に足下を掬われた。
そのまま落ちた。
だが、後鬼は木の枝を上手く利用して無事に着地した。
「手荒なまねをする…」
後鬼は口元に笑みを浮かべている。
「私を捜しておるのであろう…」
「この木が言っておる…」
大木の根元に一人の女が座っていた。
銀色の髪が長く腰の辺りまである。
若く整った美しい顔立ち。
だが、それも恐らく仮の姿だ。
その容姿で獲物を引き寄せ食らう為だ。
「あの楠の計らいか…」
「だが、これほど美しい鬼とは想像もしなかったわ…」
後鬼がその鬼に言った。
「そんな幻想に惑わされるお主でもあるまい…」
その鬼は後鬼の力量を見抜いている。
「見た所それほどでもないのだが…」
後鬼はその鬼の何かを量っている。
「何の事だ…所でお主は誰じゃ…」
鬼は後鬼の名を知りたがっている。
「うちは金峰山の後鬼じゃ…」
後鬼はご丁寧に出身地まで付け加えた。
「ほう…金峰山の後鬼、遠路遙々ご苦労だったな…」
その女の鬼はそう言って頭上を見上げた。
「私は百目鬼、この辺りをうろついている…」
そして、何かを感じている。
「誰かに見られているような気がするな…」
百目鬼は言った。
「そうかも知れぬ…なにせうちらは人気者なのでな…」
「気にするな…」
後鬼はそう言って懐から例の丸薬を出した。
「これはお主が拵えたものか…」
後鬼は袋から丸薬を出し百目鬼に見せた。
「ほう、それをどこで手に入れた…」
覚えがあるらしい。
「柊という女が持っていたものだ」
「女…はて?」
百目鬼は考え込んでいる。
「あれから何年経つと思っている…」
「私を救ったあの娘か…」
百目鬼はそのことを思い出した。
「その娘がこれを使ってしまったのじゃ…」
後鬼がその事実を百目鬼に伝えた。
「それで厄介なことになっておる」
それがここに来た理由だ。
「厄介…だと?」
「あれは命を犠牲にして願いを叶えるものであろう?」
「そうだ…それほどの願いがあればの話だがな…」
百目鬼はそう言った。
「柊は既に病に侵されておった…」
後鬼はその事実を百目鬼に告げた。
「それは放っておけば死ぬと言うことか…」
百目鬼の顔がが険しくなった。
「どうなったと思う…」
後鬼は百目鬼に問いかける。
「うむ…」
百目鬼はそのまま考え込んだ。
「生命の力がなければ願いは叶わぬ…」
「それは成立しない…」
百目鬼は後鬼にそう答えた。
「お主の薬が柊の病魔を食ったのだ…」
「なに…!」
百目鬼は驚いていた。
「生命を食らうはずのものが、病を食ったのだ…」
「それでどうなったのだ…」
予想外の出来事。
百目鬼の心が揺れている。
「まだ、柊の中にいる…」
「今は小さくなっておる、うちらがちと細工を施したのでな…」
後鬼がそう説明する。
「そうか…」
百目鬼は少し安心した様子だ。
「解く方法はないのか…」
後鬼が百目鬼に袋に入った丸薬を投げた。
「これは虫だ…」
「虫?」
後鬼には意外なものであった。
「願いをかけると羽化する」
「その者の生命の力で言霊の羽を広げる…」
「なるほど…そういうことか…」
後鬼のなかでその心象が描かれている。
「願いが叶う頃には生命の力が食べ尽くされる…」
後鬼はその仕組みを理解した。
その仕組みは神が創りしものだ。
「待て!そうすると柊の願いはまだ…」
後鬼はそう考えた。
「虫の羽は広げられている…」
「願いの言霊は伝わっている筈だ…」
百目鬼はそう言った。
「では、なぜ生命を食らう虫がなぜ病魔を食らっておる?」
後鬼にはその事実が腑に落ちない。
「わからぬ…」
百目鬼の考えが届かない。
「だが、虫がいなければ柊は命を落とすだろう」
図らずも百目鬼が出した答えは、後鬼と同じであった。

続く…
-この物語はフィクションであり、史実とは異なります。
実在の人物・団体とは一切関係ありません-