前鬼が笑っている。
「そうか、そう言うことか…」
「何の事だ?」
嵐はまだ気づいていない。
「な、何を笑っている!」
そう言う紗那の頬が赤い。

「これほどの美男子を放っておく女もいない、ということだ…」
真魚が答えを言った。
「お、お主、女のくせにどこぞの女に手を出したのか!」
「俺は女ではない!」
嵐の言葉を紗那が打ち消そうとする。
「それに俺たちは愛し合っている…」
紗那は恥ずかしそうに下を向いた。
後鬼はその言葉で見当がついた。
「なるほど…原因はそれか…」
問題は紗那にあるのではない。
紗那の相手の女の方に問題があるのだ。
「まさか…あの男のお気に入りではあるまいな…」
命を狙われたのだ。
それ相応の理由があるはずだ。
娘を取られては困る理由がある。
それは、その相手の家が高い身分であると言うことだ。
ましてや帝が娘を気に入ったとなると、一気に出世の道が拓かれる。
「藤原氏か…」
真魚はそれ以外の貴族は思い浮かばなかった。
それほど、この時代にかけての藤原家の力は強大であった。
だが、同じ藤原氏の中にも権力争いがある。
だからこそ政略結婚が重要な鍵となるのだ。
「これはまた…とんでもない話だ…」
前鬼が呆れている。
「種継殿の娘だ…」
紗那が言った。
「種継はもう死んでいる…」
「その種継の娘となると…」
真魚はその事実から、あることを導き出そうとしていた。
「そういえばあの男…良い物を着ておったな…」
嵐が紗那を殺そうとした男を思い出していた。
「だが、貴族が自らの手を汚すのか…」
後鬼が納得出来ないでいる。
自らにも危険が及ぶ可能性がある。
「紗那が足蹴にした男の妹を、紗那が奪ったとしたらどうだ…」
「しかも、その妹はあの男のお気に入りだとしたら…」
真魚の言葉に前鬼が続けた。
だが、それは常識では有り得ない事だ。
「紗那、お主知っておるな?」
後鬼がその事実を見抜いていた。
「仲成か…」
真魚が紗那に確認した。
「…」
紗那は何も言わずに頷いた。
「愛しき者の兄に命を狙われるなど、哀しい話だ…」
嵐がその恋路を哀れんでいる。
種継亡き今となっては仲成が式家の長である。
その仲成に反対されれば、どんな思いも実ることはない。
「だから言えなかったのだな…」
後鬼はその心を哀れに想う。
「だが、なぜ仲成がお主の素性に気づいたのだ?」
前鬼はそこが腑に落ちない。
「わざわざ、こんな人気の無い場所に来ているのだ」
「呼び出されたか…」
真魚はそう考えていた。
「姫を問い詰め…それで会うことになった」
「会うまでは奴も半信半疑だった…」
「だが、声で感づかれ、顔で確信した…」
「最後は胸を触られた…」
紗那がその状況を説明した。
「俺の女になれ、そうすれば許してやる…」
「あの男はそう言ったのだ…」
紗那が唇を噛んだ。
好きな女の兄と褥を共にしろと言っているのだ。
どちらも耐えられる筈がない。
それをあの男は紗那に強要したのだ。
「言うことを聞かねば、殺すつもりであったか…」
「どこまでも愚かな男だ…」
後鬼がつぶやいた。
「それで、どうするつもりだ」
真魚が紗那に言った。

続く…
-この物語はフィクションであり、史実とは異なります。
実在の人物・団体とは一切関係ありません-