最近妙な事件が頻発している。
寺社や仏像などの文化的な遺産に油のような物を蒔いたり…。
女性に薬物をかけたり…。
この世界はつながっていないようであるが、
実はつながっているという証拠である。
犯罪などは必ずと言っていいほど模倣犯が現れる。
逆に良いことも模倣されたりする。
犯罪と善意という形が違うだけでこれらはかなり似ていると思う。
しかし、実はこれ…おかしなことなのである。
個人という存在が完全に切り離されているならば、
こんな事は起こらない。
その裏に隠れているものがある。
この世には目には見えない情報空間が存在するということだ。
自分がものすごく読みたい本があったとする。
その本は廃版でもう手に入れることができない。
だが、それを心にとどめておいたり、親しい友達に話したりしていると
その本が読めるということが起こったりする。
その友達の友達が持っていたり、見つけてきてくれたり。
また、自分で本屋で見つけたり…。
時々、そう言うことが起こる。
これはすごく簡単な例だ。
これを普通の人は偶然と呼ぶ。
これをネットの世界で考えて見ると…
これはインターネットという形として見ることが出来る。
どこのどのサーバーにどんな情報が入っているのかはわからない。
だが、その膨大な情報はつながると言うことで巨大な情報の空間を創り上げている。

TwitterなどのSNSで「この本しらない?」
などとつぶやくとどうだろう?
「私持ってる!貸してあげる!」
と実現するかもしれない。
この場合、偶然ではないと人は言うだろう。
だが、どちらも情報がリンクして実現しているのである。
現在の人は、神の力をすでに使っていることになる。
仏教の唯識論では、人も同じようにして情報空間を創り上げている。
それが阿頼耶識と呼ばれるところだ。
この先に虚空蔵が存在すると私は考えている。

魂のネットワークを通じて人は無意識にリンクしている。
そこには膨大な情報が渦巻いている。
巨大なサーバーである。
人の願いもこの虚空蔵を通じて実現することになる。
これは人が本来持っている力だ。
無意識の中にそれは存在している。
それは、何故か?
意識的に使われるとまずいことが起こるからだ。
無意識であるが故に尊いというべきであろうか…。
だが、中には意識的に使える者もいたし、今もいるはずだ。
それはいいことばかりではない。
願いがかなったり事件が発生したり…
事象は様々ではあるが情報のリンクという点ではかわらない。
気をつけなければいけないのは悪い事件が起こった際には
そう言う情報がサーバー内にあると言うことだ。
「行動を起こす者」が現れるということだ。
(情報を受けとる者)
だが、これが無ければ願いも叶わない。
これは神が創りし理なのだ。