空の宇珠 海の渦 第五話 その六十 | 空の宇珠 海の渦 

空の宇珠 海の渦 

-そらのうず うみのうず-
空海の小説と宇宙のお話



黒い龍が引き裂いた大地の上を、田村麻呂が歩いていた。

「どうすればこのようになるのか…」
 
田村麻呂は黒い龍の足跡をたどっていた。
 

かなり歩いていたような気がする。
 

その時、視線の先にあるものが目に入った。


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すり鉢状の大地の中に何か立っている。
 

何か棒のようなものが立っていた。
 
田村麻呂はそこを目指して歩いて行くことにした。
 

よく見るとそこに二頭の馬が近寄ってきた。
 
人が乗っている。
 
なにやら話をしているようだ。 

そこで二人は馬を下りた。


「ん、…」

母礼は視線の先に人影を見つけた。
 

こちらに歩いてくる。
 

鎧は着ているが兜はかぶっていない。
 
その感じから身分の高い者に違いない。


「田村麻呂か…」

阿弖流為がそう感じた。
 
「まさか…」
 
母礼は目を疑った。
 

だが、一度見たことがある。
 
間違いはない。
 
田村麻呂はそのまま近寄ってくる。
 

一人である。
 

敵の大将が一人で近寄ってくる。
 

「なかなかのものだ」
 
母礼が相手の将を称えた。


「大したものだな」 
 
そう言って阿弖流為は真魚の棒を持ち上げようとした。
 

「なんだ!」
 
「どうした?」
 
阿弖流為の動揺が母礼に伝わる。  
 

「動かぬ…」
 
「全く動かぬのだ!」
 
阿弖流為は渾身の力を込めたつもりだ。
 

しかし、ぴくりとも棒は動かない。
 

「俺がやってみよう」
 
母礼が棒を掴んだ。
 
「なにぃ!」
 

母礼がやっても同じ事であった。
 
「どういうことだ!」
 
蝦夷の中でも力では負けたことがない。
 

その母礼であっても結果は同じであった。


「貴様ら何をしておるのだ!」
 

田村麻呂が遠巻きに声をかけてきた。
 

「坂上田村麻呂殿とお見受けするが…」
 
阿弖流為が言葉を返す。
 

「そうとわかっていて切らぬのか?」
 
田村麻呂がそう言った。
 

「その必要はもうない」
 
「この戦は終わりだ」
 
「それに、お主が悪い訳でもあるまい」
 
阿弖流為がそう答える。
 

「貴様らが阿弖流為と母礼か…」
 
田村麻呂も既に見抜いていたようだ。
 

「その棒は、まさか!」
 
田村麻呂が驚いている。
 

「真魚の棒だ!」
 
阿弖流為は二人が知り合いなのは聞いている。
 

「あの男はどうしたのだ?」
 
「それを俺たちも知りたいのだ」
 
母礼は田村麻呂の様子が気になっていた。
 

「なぜ、そのように驚いているのだ?」
 
母礼が逆に田村麻呂に聞いた。
 

「助けられたのだ、あの男に…」
 
田村麻呂はそう言って近寄ってきた。

 
「真魚に会ったのか?」 

母礼が問い詰める。


「奴に抜くなと言われていた刀を、怒りにまかせ抜いた…」 

「そこからの記憶が定かでない…」
 
「だが、気を失う寸前、あの男を見たような気がする…」
 
「あの黒い玉と一緒に…」
 
田村麻呂は淡々と話をした。
 

「わかっておったのだ…」
 
「だから刀を抜くなと言ったのだ」
 
田村麻呂は後悔していた。
 

話ながら棒に近づいた。
 
そして、無意識に棒を握った。
 

「なんだこれは!」
 
田村麻呂は目を丸くして驚いた。
 

「お主も知らなかった様だな」
 
阿弖流為が笑っていた。
 

「俺たちも同じだ」
 
母礼も笑っている。
 

「あの男はこれを軽々と持っていた…」
 

田村麻呂はまだ信じられない。
 

「そういう男なのだ、奴は…」
 
阿弖流為が言った。
 

「気がつけば、真魚の言うとおりになっている」
 
母礼が笑っている。
 

結局、真魚の棒が三人を引き合わせた。
 

「お主に一つ頼みがある」
 
阿弖流為が(あらた)まってそう言った。
 

「何だ」
 
「帝に会わせてくれ」
 
阿弖流為はそう言った。
 

「何だと!正気か!」
 
田村麻呂の目がさらに大きくなった。
 

「戦は終わりだ」
 
母礼が言った。
 

「お主もこのままでは都に帰れまい」
 
「手土産の一つぐらいはないとな…」
 
阿弖流為の言うことは正しい。
 
「生きて帰れる保証はないぞ!」
 

帝がそのまま返すとは思えない。
 
田村麻呂に不安がよぎる。
 

「覚悟は出来ている」
 
阿弖流為が言った。


「帝と呼ばれる男が、どれほどのものか見てみたいものだ」

 
そして、母礼が頷いた。
 

「俺の負けだな…佐伯真魚…」
 
田村麻呂は棒に向かってそう言った。
  

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続く…