黒い龍が引き裂いた大地の上を、田村麻呂が歩いていた。
「どうすればこのようになるのか…」
田村麻呂は黒い龍の足跡をたどっていた。
かなり歩いていたような気がする。
その時、視線の先にあるものが目に入った。

すり鉢状の大地の中に何か立っている。
何か棒のようなものが立っていた。
田村麻呂はそこを目指して歩いて行くことにした。
よく見るとそこに二頭の馬が近寄ってきた。
人が乗っている。
なにやら話をしているようだ。
そこで二人は馬を下りた。
「ん、…」
母礼は視線の先に人影を見つけた。
こちらに歩いてくる。
鎧は着ているが兜はかぶっていない。
その感じから身分の高い者に違いない。
「田村麻呂か…」
阿弖流為がそう感じた。
「まさか…」
母礼は目を疑った。
だが、一度見たことがある。
間違いはない。
田村麻呂はそのまま近寄ってくる。
一人である。
敵の大将が一人で近寄ってくる。
「なかなかのものだ」
母礼が相手の将を称えた。
「大したものだな」
そう言って阿弖流為は真魚の棒を持ち上げようとした。
「なんだ!」
「どうした?」
阿弖流為の動揺が母礼に伝わる。
「動かぬ…」
「全く動かぬのだ!」
阿弖流為は渾身の力を込めたつもりだ。
しかし、ぴくりとも棒は動かない。
「俺がやってみよう」
母礼が棒を掴んだ。
「なにぃ!」
母礼がやっても同じ事であった。
「どういうことだ!」
蝦夷の中でも力では負けたことがない。
その母礼であっても結果は同じであった。
「貴様ら何をしておるのだ!」
田村麻呂が遠巻きに声をかけてきた。
「坂上田村麻呂殿とお見受けするが…」
阿弖流為が言葉を返す。
「そうとわかっていて切らぬのか?」
田村麻呂がそう言った。
「その必要はもうない」
「この戦は終わりだ」
「それに、お主が悪い訳でもあるまい」
阿弖流為がそう答える。
「貴様らが阿弖流為と母礼か…」
田村麻呂も既に見抜いていたようだ。
「その棒は、まさか!」
田村麻呂が驚いている。
「真魚の棒だ!」
阿弖流為は二人が知り合いなのは聞いている。
「あの男はどうしたのだ?」
「それを俺たちも知りたいのだ」
母礼は田村麻呂の様子が気になっていた。
「なぜ、そのように驚いているのだ?」
母礼が逆に田村麻呂に聞いた。
「助けられたのだ、あの男に…」
田村麻呂はそう言って近寄ってきた。
「真魚に会ったのか?」
母礼が問い詰める。
「奴に抜くなと言われていた刀を、怒りにまかせ抜いた…」
「そこからの記憶が定かでない…」
「だが、気を失う寸前、あの男を見たような気がする…」
「あの黒い玉と一緒に…」
田村麻呂は淡々と話をした。
「わかっておったのだ…」
「だから刀を抜くなと言ったのだ」
田村麻呂は後悔していた。
話ながら棒に近づいた。
そして、無意識に棒を握った。
「なんだこれは!」
田村麻呂は目を丸くして驚いた。
「お主も知らなかった様だな」
阿弖流為が笑っていた。
「俺たちも同じだ」
母礼も笑っている。
「あの男はこれを軽々と持っていた…」
田村麻呂はまだ信じられない。
「そういう男なのだ、奴は…」
阿弖流為が言った。
「気がつけば、真魚の言うとおりになっている」
母礼が笑っている。
結局、真魚の棒が三人を引き合わせた。
「お主に一つ頼みがある」
阿弖流為が革まってそう言った。
「何だ」
「帝に会わせてくれ」
阿弖流為はそう言った。
「何だと!正気か!」
田村麻呂の目がさらに大きくなった。
「戦は終わりだ」
母礼が言った。
「お主もこのままでは都に帰れまい」
「手土産の一つぐらいはないとな…」
阿弖流為の言うことは正しい。
「生きて帰れる保証はないぞ!」
帝がそのまま返すとは思えない。
田村麻呂に不安がよぎる。
「覚悟は出来ている」
阿弖流為が言った。
「帝と呼ばれる男が、どれほどのものか見てみたいものだ」
そして、母礼が頷いた。
「俺の負けだな…佐伯真魚…」
田村麻呂は棒に向かってそう言った。

続く…