不思議で貴重な体験 | 空の宇珠 海の渦 

空の宇珠 海の渦 

-そらのうず うみのうず-
空海の小説と宇宙のお話




2年ほど前のことである。


不思議な夢を見た。

上りの坂道をベビーカーを押して登っている。

石畳だった様な気がする。


何処かの山に登っているようだ。

登ることに苦はなかった。


そこに何かが乗っていることはわかる。


女の子のような感じがしていた。

だが、覗いてはいけない。

理由はない。

そう感じていた。


しばらく登ると頂上についた。

そこには神殿があった。

長い石の階段の上にそれは建っていた。


そこから放つ波動はそこに神がいることを示していた。


自分はそこに行きたかった。


神に会いたかったからだ。


すごく懐かしい感じがしていた。


だが、階段を上ろうとしたとき…


『お前はまだ来てはいけない』


と言われた様な気がした。


同時に自分の中に

「行ってはいけない」

という意思も存在していた。


行きたかったのだが、ためらった。

気がつくとベビーカーが消えていた。


後ろ髪を引かれる思いであったが、その場を後にした。


来た方とは逆の道を今度は下っていた。

スケボーかなんかに乗っている感覚だった。

帰りは早かった。


そして、目が覚めた。

変な夢だと思っていたが、その事は忘れていた。



数日後、父から電話がかかってきた。

姪が亡くなったというのだ。

子宮頸がんであった。

まだ四十にもなっていないはずだ。

子供が三人残された。


直ぐにおじさんに電話をして話をした。

大分前から悪かった様なのだが皆には隠していたらしい。

泣きながら話すおじさんに、私も貰い泣きをした。

電話を切りしばらくしてからであった。


「見送りに行ったのだ!」


意識の中にその言葉が湧いた。

「えっ、何の事?」

自問自答したとき、夢の体験とリンクした。


「そういうことだったのか!」


「神の所までお見送りに行ったんだ!」

ということに気がついた。

しかも、夢を見たのは亡くなったその日だったのだ。




後日、姪がかわいそうだと感じ自力で会いに行った。

今までそんなことはしたことがなかったのだが、やってみた。


私には小説の空海と同じく一人の師がいた。

残念ながら数年前になくなってしまったが、

いつも側にいるような気がしている。


その師にお願いして連れてきてもらった。

すると二つの光(魂)が現れた。

一つは師、そしてもう一つは姪であった。

そして、姪が言った。

「私は十分に生きたから心配しないでください」

「子供たちにも想いは伝えています」

「父と母にもそうお伝えください」


涙が出て止まらなかった。


だが、私は少し後悔した。

かわいそうと思ったことを…。

三人の子供を残し旅立った姪を、そう思ってしまった。


「人生の価値は他人が決めるものではない」

とその時感じた。

早く亡くなったから不幸

長く生きるから幸せ

ということではないのだ。


また後日、父と話していたときにその姪の話になった。

「〇子は不幸や、あんなに早く死んで…」

父はそう言う。

私は父に言った。

「人の人生、早く死んだから不幸と言うものではないよ」

「それは違う!不幸や!」

また言い争いになった。

八十近い歳になっても「生」にしがみつく。

まったく、「やれやれだぜ!」と言いたい気持ちだ。



不思議で貴重な体験でした。