村の動きも慌ただしくなってきた。
戦に備えて村の者総出で支度をする。
紫音は弟たちと一緒に、畑で作物を摘んでいた。
この村の畑は皆のものであった。
皆で働きそれを分配する。
誰のものでもない。
働ける者は皆働く。
作物の手入れは力のない子供や女達の仕事だ。
狩りや木を切る危険な仕事は男達が担った。
だが、決まりがあるわけではない。
出来ることは男女問わず何でもする。
そうやって皆で生きて行くのである。
そうすれば戦で親を失った者も生きていける。
与える事はあっても、奪い取ることはないのである。

太陽の光が紫音の体温を上げる。
額から汗が流れ落ちる。
それが大地に染み込んでいく。
紫音はそのことには気づいてはいない。
紫音の命のかけらが大地の命となる。
それが作物になり紫音を生かす。
紫音は感じ始めていた。
この大地の輝きを。
嵐が紫音に見せた大地が紫音を変えた。
「自分も一つ、大地も一つなんだ!」
この世に同じものは存在しない。
唯一無二だ。
紫音はその事に気づいた。
全てのものが一つしか無い。
その事実が紫音を変えた。
一つしか無い。
だから愛おしいと感じた。
この一瞬でさえ二度とこない。
その思いは紫音の輝きの一部になった。
紫音の心は感動の波動を放ち続けている。
それは魂の衣を伝わり、神に届く。
生きることの意味がそこに存在している。
「母礼?」
紫音が気づいた。
影はまだ小さい。
馬に乗ったまま近づいてくる。
急いでいる様子はない。
紫音は作業を止めて走って行った。
「姉ちゃん!どこいくの?」
弟の禮音は気づいていない。
「最近の姉ちゃんはわかんねえ」
禮音は紫音の行動に呆れていた。
「紫音か?」
誰かが走ってくる。
側に小川が流れている。
それほど広くはないその道を走って来る。
母礼はそれが紫音であることに気がついた。
はぁはぁはぁ…
紫音は息を切らしている。
「何もそんなに走らなくても良かろう?」
「身体が勝手に走り出したのよ!」
母礼の問いかけは紫音には無駄であった。
「乗るか?」
「うん!」
母礼は少し前屈みになり右手を差し出した。
紫音はその手をにぎり馬によじ登った。
母礼の前に紫音が乗る。
「俺に何か用なのか?」
「用がなければ来てはだめなの?」
紫音はわざと威圧的に言った。
「そういうわけではないが…」
「もうすぐ戦でしょ…」
紫音の声が小さくなった。
「ああ…」
母礼はあることを思いだした。
「何か一つでもあれば…」
紫音はそう言った。
「俺は必ず帰ってくる!」
母礼はそう自分に言い聞かせた。
「ねえ…」
「なんだ」
「母礼は怖く無いの?」
「何がだ?」
「死ぬ事よ…」
紫音は心配している。
「人はいつか死ぬ、俺は出来ることをするだけだ!」
母礼にはそう言うしかなかった。
「私はいやよ!誰も死んで欲しくない!」
紫音の瞳から涙が溢れた。
紫音の背中が揺れている。
その涙は母礼には見えなかった。

「この戦いには蝦夷の未来がかかっている!」
母礼のその言葉に紫音の心が揺らぐ。
「どういうこと?」
蝦夷の未来。
その言葉が紫音の中で輝きを放つ。
「真魚がそう言ったのだ…」
「真魚が?」
「そうだ、蝦夷の未来は俺と阿弖流為にかかっていると…」
「真魚が…」
どういう意味なのか紫音には理解出来なかった。
だが、蝦夷の未来を真魚が感じているのなら…。
出会った時に感じた感覚は、間違ってはいなかったのだ。
「真魚が蝦夷に未来があると言ったの?」
紫音はその事実を確かめたかった。
「あるとは言っていない、かかっているとだけ言ったのだ」
母礼の答えは紫音を混乱させた。
「今度、真魚に確かめてみる!」
紫音は覚悟を決めた。
「紫音、真魚を信じているのか?」
母礼は紫音の心を確かめたかった。
「ええ、信じているわ!」
紫音の言葉に揺るぎはなかった。
「俺は紫音のその心をを信じている」
母礼は紫音にそう誓った。
続く…