三次会はふたりきりになった。

六つ年上の先輩はタクシーで帰ってしまった。

 

Aは、二次会をした店から二百メートルほど離れたところにあるバーを紹介してくれた。

天井には黒い木の梁がわたり、脚が長くてクッションの小さい椅子が並べられ、壁にジャズのレコードが飾ってあるような店だ。

 

ふたりともモスコミュールを頼んだ。Aはしたたかに酔っていた。

モスコミュールが運ばれてきて、乾杯をした。

黒いダッフルコートについた三つのポケットをぜんぶ触ったあと、Aは「たばこある」ときいてきた。

 

「机のうえ」

 

席に座ったとき、彼がポケットから煙草を出して机へ置いたことに私は気がついていた。

「ありがとう」と言ってAはピースをくわえた。私もセブンスターをくわえた。Aがマッチを擦り、ついでに火をともしてくれた。


「おれは今年こそ小説を書くよ」とAは言った。

 

脈絡はなかったが、とくべつつまらなく聞こえる言葉でもなかった。

 

「五万字書いて、それで、文学賞に応募する」

「いま何文字なの」

「三六八」

「へー」

 

Aは私がばかにしたのだと思って、「でもすこしずつ書いているんだよ」と言った。思いついた台詞や言葉を、携帯電話のメモ帳へ書きためているらしい。いままでに書いたぶんを全部見せてくれた。半分はつまらなかった。もう半分はすこし面白かった。そのとおりに伝えた。Aは怒らなかった。

 

「ありがとう」

 

私は携帯電話を返した。それから、「私は今年が不安だよ」とつぶやいた。

 

さっきタクシーで帰ってしまった先輩は、三月に退学することになっている。

彼はたぶんおなじ研究室の人間の中でいちばんかしこかった。みんな彼を頼っていた。でもあと一ヶ月半でいなくなる。これから誰を頼ればいいのかは誰にもわからない。それで、私は四月からのなにもかもが不安だった。

けれど、Aはなんでもないことのように「今日、その話ばっかりだね」と笑った。

 

「不安なんだ」

「わかるよ。でも、なんとかなる」

「ならないよ、どうにも。私はばかだし、おまえの小説は三六八文字しか書けていない。いっそみんな死ねばいい」

「でも、おれは死なないよ。生存者ふたり。それでどう」

 

Aは笑った。私はしばらく考えてからうなずいた。

 

「それならいい」

 

この黒い小さなテーブルと二脚の椅子だけ残して世界がなくなってしまえば、たしかに独りになるより楽しいと思った。