すばらしい本だった。
ダライ・ラマ師の本は「仏教入門」を読んだことがあって、これはチベット仏教の考え方がわかってもおもしろかった。
こちらはラモ・トンドゥプとしてチベットに生を受けた少年が、ダライ・ラマの活仏として見出され、中国の侵略にあい、インドへ亡命し、世界平和を訴え続けている今日(この本が書かれた時点では1990年)までが、自身の言葉で書かれている。
これを読むと、ダライ・ラマ師がものすごく謙虚で、暖かくて、芯の強い人であることがよくわかる。
活仏と言うより、一人の人間としても、とても魅力的。
そして、どんな人に対しても、その人の中にある光を見出し、認める。
たとえ、自分の国を侵略した中国共産党の幹部に対しても。
これを読む前、私はダライ・ラマ師を少し勘違いしていた。
民族や国家を超えて、世界平和を訴えて世界を行脚する、「チベットの活仏」と思っているところがあった。
なので、「地球人」と自分を紹介するような人だと勝手に思い込んでいた。
だから、去年、ダライ・ラマ師の講演を聞きに行ったとき、質疑応答の際、あくまでも「仏教的な見地」から答える師の姿に、自分の中のダライ・ラマ師の像とのぶれに、少し違和感を感じた。
でも、これを読んで、それは解消された。
彼はチベット人であり、チベットを愛するチベット仏教の活仏なんだ。
なので、彼の平和思想の根底はチベット仏教であり、彼のアイデンティティーはチベット人であることである。
そして、世界平和を願うことは、すべての人を救うことであり、すなわちそれはチベットの人々も救われると言うことなのだ。
だから、彼は肉を食べる。
殺生はいやなので、菜食主義になりたかったらしいけれど、チベットは野菜が極端に取れないので、肉から栄養をとるため、そういう体質になっているらしく、菜食主義に失敗したと書かれている。
また、チベットは高山なので、小さな虫はあまり発生しない。
すなわち、虫を殺生しない。
なので、インドへ亡命してきたチベット人たちは、農作物を荒らす害虫を殺せずに困ったというエピソードも紹介されている。
宗教と言うものは、その国や土地にあった形で発展していくのだと言うことがよくわかる。
しかし、その宗教の主流にある愛は普遍だ。
そして、中国がチベットという国に対して行っている非人道的な侵略を訴える。
チベットの人たちが行う抵抗を「暴力は決して見逃せないが、ときとしてそれを避けえないことがあるのをわたしは認める」と語る。
でも彼は絶望しない。
チベットがまたいつか、平和な国として、チベットの人たちが安心して暮らせることを心から祈り、信じている。
また、この地球も、いつか美しく平和な星になることを心から祈っている。
私はダライ・ラマ師の大いなる楽天主義にいつも感動する。
この世のむごさや汚さを知りつくしたなかでさえ、人の善意を信じている。
この世の中は醜いことがいっぱいある。
それは心の中も同じ。
でも、それにばかり目を向けていてもなにも始まらない。
どんな絶望の中にも、光が必ずあることをダライ・ラマ師は教えてくれている。
そして、何度挫折しても、立ち上がれることを気づかせてくれる。
勇気と感動を与えてくれる一冊だ。
ダライ・ラマ自伝~文芸春秋文庫~