さすがに、ライブのことだし、ジャンルはこれでもいいかなと。










7月になってしまいました。

はやいもので3ヶ月、大学生という日々を送ったことになるわけですが。





本題に入る前に、最近のことをすこしだけ。





本来わたしの大学のテスト期間って7月の終わりの週になるんですが、
先生方の考え方っていうものは不思議なもので、

「重なっちゃうと大変だろうから早めます」





それが1、2つの講義でならいいものを、
次々のどの先生方もそう言うものだから。


なんだかんだテストのピークは来週に迫ってきました。






本来のテスト期間にテストが行われる科目なんて(わたしの場合)2つだけ。







この週末は久しぶりに、死ぬ気で勉強、になりそうです◎笑
























さて本題!!





まずはBIGPAPAのことを書こうと思います。









6月16日


世間的には‘父の日’と言われるその日に、

東京ドームシティーホールで行われた
BIGMAMA 2013ツアー「ライブ・イズ・ミルフィーユ ~父の日だけにBIGPAPA~」
に行ってきました。






散々好き好きといいながら、
BIGMAMAいや、BIGPAPA、いややっぱりBIGMAMAのライブにいったのは初めてで、

もうどきどき、わくわくでした。






会場に向かう途中にMAMAのTシャツを着たひとなんかもいたりして、







そういえば面白かったのが、


最寄りの水道橋駅につくと、やけにひとが多くて、
ひとつのライブに行くひとだけでこんなに混むものかなってほどに混んでいて、

一緒にいた友達と不思議がっていたんですけども。


どうやら東方神起の東京ドーム公演と重なっていたようで、

「そりゃあ混むわけだ」

と納得。



ライブ中に金井さんがMCでそのことについても触れていて、
いつかBIGMAMAも東京ドームで、なんて思ったのはここだけの話です。












で、本題に戻って。












なんというかもう、最初に音が鳴った時点で、メンバーがステージに上がって来た時点で涙が止まらなくなりました。




ライブだとか、音楽番組だとか、本当にすきな音がする時って涙がでる体質のようで、




とにかく始まって、「the cookie crumbles」から「cpx」(だったかな)の流れのなかで、
ひたすらぼやける視界をなんとかしたいばかりでした。






たぶんPAPA仕様だったからでしょうか、
『君想う、故に我在り』以外の曲もかなりたくさん。


「Cinderella」や「Lovescape」を聴けるとはおもってもいなかったからもう感動ものでした。


(BIGMAMAで好きな曲、と考えたときに5本指にはいる2曲だったので)









セットリストはなにかの誌面などで探してみてください。









アンコールは何度か。








一度は金井さんがステージから降りての「I Don't Need a Time Machine」





エピソードもあわせて、金井さんのアコースティックギター一本でだったからこそ、
響くものがたくさんあって。

BIGMAMAがだいすきなひとたちで埋まった会場、その真ん中で、柵に座って歌う金井さん。

あの瞬間は一生忘れない、そう思いました。


BIGMAMAの弾き語りのスコアが出ないかな。



いつか本当にだいすきな、大切なひとに聴かせたい、

「I Don' t Need a Time Machine」はそんな曲だな、なんて。













それから「until the blouse is buttoned up」「ライフ・イズ・ミルフィーユ」





「until the blouse is buttoned up」はシンガロングが起こると噂で聞いていたので(笑)ちゃんと予習して、ちゃんと歌えるように。

誰に?そうきかれるとわからないけど、誰かに、届くように。

金井さんがきっといつもそう思って歌っているとおもうから、そんな気持ちで、あの一瞬だけは一緒に歌いたい、そんな気持ちで。

自然と笑顔になれる、歌いたくなる、BIGMAMAの音楽は、そこにいるひとみんなを幸せにする力があるなって思わせてくれる曲だと改めて。










「ライフ・イズ・ミルフィーユ」は、





ああ、そうだ、東京ドームシティーホール限定(いまはweb販売もしているそうですが)で発売になった金井さんの「ライフ・イズ・ミルフィーユ」はもちろん買って、大切に読んでいます。

だいすきな音と、写真と、言葉と、肌触りのいい紙と、大切な匂いと、
不思議な一冊です、宝物になりました。





ええっと、話を戻して、
「ライフ・イズ・ミルフィーユ」は、聴き終わったあとに涙がでた、これまた大好きな曲で。
歌詞と併せて母に見せて、聴かせて、そのあと母が「いい曲だね」と言ってくれた、そんな思い出のある曲でもあります。

目の前で金井さんがそれを歌い上げて、

おはよう、おやすみ、おかえり、ただいま…と、日常でつかうありふれた言葉を並べていくあのフレーズがわたしは大好きで、

一言一言噛み締めながら聴いていました。

















実をいうと、ライブ中始終泣いていたこともあってあまりよく覚えていなかったりします。




なのであまり曖昧なことを言いたくないのと、

あの空間のことをなんとなくしまっておきたいのと、





とにかく贅沢な2時間半。


BIGMAMAをよりすきになれた、それから、毎日をもっと愛したくなった、
そんなライブだったとおもいます。















11月の赤坂BLITZも見事打ち抜きました、1日の金曜日、またあの幸せな空間にいけるとおもうとうれしくてうれしくて、


そのすこし前、8月には旧盤の廉価版、それから新曲もでるそうで、

一足先に新曲を聴いた身としては8月の終わりが待ち遠しくて仕方ありません。











ライブつながりでいくと[champagne]の秋ツアーのzeppを友達が当ててくれたそうで、おそらくファイナル、参戦できることになりました。



そうだ、[champagne]といえば、アルバムのことも書きたいんだった。


















また時間をみつけて書きます◎























さて、時間もあることですし。






時系列的にBIGPAPAならぬBIGMAMAのライブが最近のことなので書きやすい気がするんですけど鮮度が落ちきってしまう前にflumpoolのことを書いていこうとおもいます。












時はさかのぼってさかのぼって5月下旬。

INTERROBANG(flumpoolのファンクラブのことです)からメールマガジンが届きました。


「INTERROBANG会員の皆様に緊急告知です!!」






いやあ、ほんとに何事かとおもいました。

(ニュースでみられたひともたくさんいるとおもうんですが、flumpoolの7月発売のシングルのミュージックビデオには、ファンクラブの年会費会員の、抽選で当選した約300人が参加しました。)

その応募に関してのメールだったんですが、いままでflumpoolの会員限定イベント系には応募するごとにことごとく外れていたので期待せずノリと勢いで今回も、と、どうせ当たらないだろうとおもいながら応募しました。


撮影日の前々日ごろ、なかなか当選メールもこなかったので、今回もだめだったか、とおもっていたところ告知されていた時間から3時間ほど遅れてメールが届きまして。


運良く参加することができたんですよね。










…と、まあ、概要はこんなかんじなんですけども。



デビューして今年で5年目になるflumpoolですが、賛否両論、すききらいが別れるバンドかなあ、とわたしはおもっています。



デビュー曲は提供曲であったこと、
顔ファンが多いと言われがちなこと、
ギタリスト一生さんのメタボ騒動でノンスタ井上さんが助っ人としてflumpoolに参加したり。



音楽をすきだというひとに限っていいイメージをもっていないことが多かったりして、いろんな方と話をするたびに残念に感じることもおおいんですけど。

わたしはそもそも「花になれ」でflumpoolをすきになったわけではないので、提供曲でデビューしたとかそういうことは全然関係ないし、flumpoolのエンターテイメント性もだいすきです。












なんでこの話をこのタイミングでしたかというと、
今回のシングルが、きっとそういうイメージもぜんぶふきとばせるものなんじゃないかなと感じるからでして。



わたしみたいなやつが説明するより、公開中になっているMVのショートバージョンを見ていただければわかってもらえるきがするんですけど。











もともと隆太さん(ボーカルの山村隆太さん)の書く歌詞がだいすきなわたしとしては、
今回のシングルの、特に「大切なものは君以外に見当たらなくて」のメッセージがすごく心に響くものだとおもっています。








社会現象も、環境問題も、ぜんぶぜんぶ、
ひとりひとりが考えていかなければいけない問題はこの世の中にたくさんあるけれど、

それはひとまずおいておいて、

君に、「君」に生きていてほしい
君が笑っていてほしい
君が泣くのならそばにいたい
君が頑張っているのなら応援したい









いつだったか書いた気がするんだけれど、



いろんなものを守りたいとおもう、
けど、人間ひとりが守れるもの、
大切にできるものってきっと両手で抱きしめられる範囲くらいかなっておもうんです。

自分のことでいっぱいいっぱいなときもある、
誰かに優しくできたらなっておもうときもある。

時として、自分よりも誰かに幸せになってほしいとおもうときもある。











なんていうか、そういう等身大な歌な気がします。

タイトルに顕著かなとおもうのですが、うん、とにかくオフィシャルサイトで歌詞を読んでみてください、きっとなにか感じるはず。




MV撮影のときに、わたしたちも一緒に歌うということで先に(世界最速で!笑)歌詞をいただいて読んだんですが、もうそのときから、ことばの力、山村隆太という作詞家の力をすごく感じて。

撮影が始まるまえに一度曲を聴かせてもらいながら、ビジュアル面活動休止中の阪井一生という作曲家ののせるメロディーの、説得力、歌詞の意味を届ける力を感じて。






なんというか、もう曲そのものが想いに溢れていて、撮影中も始終涙が止まりませんでした。












『大切なものは君以外に見当たらなくて/微熱リフレイン』
flumpoolのニューシングルは7月3日に発売になりますが、ほんとに、たくさんのひとに聴いてほしい一枚です。





また発売したら、曲についてたくさん書きたいな、とおもうのでこの辺で。



















MV撮影の詳しいことはあまり話してはいけないそうなのであまり話しません。笑



なんだか大切にしておきたいなとおもうのです、
flumpoolと、スタッフさんと、あの場にいたファンの秘密。




















まずは第一弾。




つぎはなにを書こうかな。























走れば間に合うかもしれない、でも間に合わないかもしれない

そんな距離にある信号機が青になったとき、
よく駆けだしてはうしろをふりむいて、「お母さん、はやく!」なんて言った


ああもう間に合わないから次でいいか
ちょっと疲れちゃって走る気力もないや


少しさきに見える信号機が青になって、そんな風におもったとき、

となりをちいさい男の子が駆けていった。


「お母さん!赤になっちゃうよ!」


って、まだわたしの隣あたりを歩いていたお母さんを急かして、

横断歩道の先、満面の笑顔で手を振って、


それをそのお母さんはほんとうに優しい笑顔で、目を細めて、
「危ないでしょ」なんていいながら小走りに追いかけていった










ふと、そういう気力とか、なんていうか、自分がどんどん前を歩いていきたい気持ちってどこでおとしてきたんだろうなんておもって。



“走ったら転ぶ”

だとか

“そんなに急ぐ必要も無い”

だとか。



とにかく走りたいとか、いつも先を歩いてくれていたお母さんを追い越して自分がひっぱっていってみたいとか、きっとちいさかったわたしもそんなことを考えて、青を見つけては駆けだしていったのかもしれない。



どんどん、年があがっていく、おとなになっていく(?)につれて、

怖いものがふえて、面倒におもうものがふえて、食べ物の好き嫌いはなくなったはずなのに嫌いがふえて、頑張りたいとおもうことが減って。


自分のなかで必要と不必要を自然と割り振るようになってしまった気がします。







夏の炎天下、辺り構わず走り出す勇気が自分にはなくて、あの男の子にはあって、

若いっていいな、とかそういうことじゃ片付けられないなにかを感じて切なくなりました。













大学の友達が言っていたんですけど、




たとえば幼稚園のこどもたちが、お絵描きの時間に青いクレヨンで太陽を描いたとき、




日本の幼稚園の先生たちは、「この太陽は赤い方がいいんじゃないかな」というそうで

アメリカの幼稚園の先生たちは、「なんて素敵な発想なの!!」というそうで。




(あくまで講義のなかでの話らしいので、必ずしも当てはまるとは言えませんし、そういう方針を必ずしも否定したいわけではないんですけど。)







きょうわたしがみた男の子の、お母さんはきっとその男の子が青いクレヨンで太陽を描いたとしても「いいね」ってほめてあげるんだとおもうんです。





どういうことかっていうと、


基本的に青信号だからってばーっと走っていっても絶対に安全かというとそうもいかない時代で、

そんななかで男の子が走っていったことをきつく怒ったりしなかった。




よく、洋服を泥だらけにして帰ってきたこどもを叱る親がいると聞くんですけど、なんていうか、そこを怒らない、みたいな、逆に「元気で遊んできたね」って言えるような。



自分にこどもがいるわけじゃないのでなんとも言えないんですけど。






泥だらけで遊ぶことも、おそらくは暖色で描かれがちな太陽を青いクレヨンで描くことも、危ないかもしれないけれど走っていくことも、




そういうことを“だめ”で締め付けてしまっては、芽生えるかもしれない可能性も摘み取られてしまう気がして。

確実になにかに直結するかというとそうでもないきもするんだけど、わたしはそんなふうに感じます。
















どうせ成長していくなかでこどもも、いつかいろんな自分の持って生まれた可能性のなかから自分がつかみたいものを選んでいく。


だったら、自分が親になったら、そんな可能性を大切にしてあげられるひとでありたいな、なんておもいます。













あーすっきり◎



それでは、また、おやすみなさい!