【玉砕の地、フィリピン レイテ島の慰霊碑‼️】
〜 戦場に建立された慰霊碑が消滅している現状をどうするか⁉️ 〜
一昨年、レイテ島ブラウエン飛行場跡にある陸軍落下傘部隊であった高千穂降下部隊の供養塔があると聞いて、慰霊の旅に出掛けてました。
しかしそこには、高千穂降下部隊の供養塔はなく、静岡県議員の有志らが建てられた平和之碑だけしかありませんでした。
また大阪遺族連合会が建てられた慰霊の碑もありませんでした。
高千穂降下部隊は、大東亜戦争終盤の昭和19年12月6日に、数百人の将兵が降り立ち、450人が散華されたと伝えられています。
父と同じ落下傘部隊の供養塔が失くなっていたことは自分としては信じ難く、再建に向けての活動を始めるきっかけとなっています。
昨日、静岡県議員連盟の方から、5月にレイテ島に慰霊祭に行くので一緒に行かないかと誘って戴きました。
自分は社団法人を立ち上げ、慰霊碑の維持管理と再建を目指しており、二つ返事で参加すると回答しました。
静岡県議員連盟の方たちは10年以上毎年のようにレイテ島に慰霊に行かれており、高千穂降下部隊の碑のことも良くご存じでした。
レイテ島には最盛期は800基以上もの慰霊碑が建立されたこともあり、遺族会之慰霊参拝も大勢毎年行かれていたようです。
戦後70年以上も経過して遺族の高齢化と継承する人がいなくなり、次第に慰霊に行く人も減ってきたようです。
高千穂降下部隊供養塔の関係者も訪れる人がいなくなり、現地の管理者が撤去されたそうです。
陸軍落下傘部隊の慰霊は自衛隊OB会組織てもある全日本空挺同志会が引き継いでいる筈であるが、海外の慰霊碑の管理や慰霊祭については極めて消極的であります。
5月にレイテに行き、再建立に向けての調査や現地の方との打合わせを予定しています。
陸軍落下傘部隊で一番、散華された作戦が高千穂降下作戦でした。
この部隊の将兵の慰霊と鎮魂を疎かにしては行けないと思っています。
英霊の慰霊と顕彰は日本人としての責務であり、時代が変わっても受け継がれなければいけないと
考えています。
英霊を二度と死なせてはいけない‼️
一度目は肉体の死‼️、二度目は人々の記憶から失われる死です。
自衛隊OB組織のリーダー的役割に期待したいが、大東亜戦争の真実を見ようとしない人や陸軍落下傘部隊を学んだでいない人も多く、諦めています。悲し話しです。
パレンバン落下傘部隊がら有名だが、高千穂降下部隊は弟分