父を「海賊」と呼ばれることに抵抗し続けた嫡男の思い‼️
出光興産(株)名誉会長が一昨日ご逝去された。
偉大な父の後ろ姿を見て育った方であるが、常に父親と比較され、世の中の嫡男への評価は手厳しいものがあった。
晩年はアメリカのグローバル戦略に翻弄され、父親出光佐三の拘りでもあった株式非公開の原則も時の趨勢には抗えず、公開された。
そんな中、創業者の反乱とも揶揄されたが、父親の理念を守ろうとしたのが嫡男である出光名誉会長の抵抗でもあった。
自分は、出光興産を退いた後、何冊かの書籍を上梓したこともあり、戦前、戦後の石油供給体制について調査するため、出光名誉会長に度々取材させて戴いた。
また、小説「海賊と呼ばれた男」は、自分ら出光社員が接した出光佐三と違うイメージが世の中に蔓延していることに忸怩たる思いを抱いていると打ち明けたところ、出光名誉会長も同じ思いを吐露された。
そんなこともあり、一念発起して「正伝 出光佐三」を上梓した。
出光名誉会長には原稿の段階から目を通して戴き、またゲラ校正もして戴いた。
当時、既に90歳を超えておられたが、何度も原稿に眼を通して戴き、精力的に加筆・修正戴いたのには、著者である自分も驚かされるばかりであった。
何度か校正戴き、出版された時は大量購入して戴いただけでなく、ご自宅にも招かれ労いのお言葉を戴いた。
出光名誉会長にとって、偉大な父親の実態を後世に伝えたいとの思いが、年齢以上の行動に繋がったと感じている。
父親を尊敬されていた証として「海賊」との呼び名は許し難いものがあったようで、映画「海賊と呼ばれた男」の制作において出光興産(株)としては協賛金を一円も出さなかったと聞いている。
(出光名誉会長からも他役員からも直接聞いている。)
こんな出光名誉会長との関係があったので今回の訃報に接し、大変悲しい思いを募らせている。
現在、出光佐三と皇國史観の大家であった平泉 澄博士との繋がりを冊子に取り纏め中であり、年明け早々に出光名誉会長に贈呈する予定が叶わくなり、非常に残念である。
出光佐三翁の生き字引でもあった出光名誉会長のご冥福をお祈りしています。
合掌