奪われたくない
わたしの小さな快楽
夢現
伸び
わたしはふだん
あまり怒らないほうだ
親しい人には小さなことで
しょっ中ぷりぷりしてみせるけれど
それは半分笑ってるみたいな
猫がじゃれて遊んでるみたいな感覚だから
本気で怒ることはめったにない
自分でもかなり温和な質だと思う
たぶん
だけど
どうしても許せないことがある
夢現と伸び
これを邪魔されると
わたしは本気で機嫌が悪くなる
夢を見ることと
う~ … んっ と 伸びをすること
このふたつは
わたしの日々の中の
小さくて大きな喜びであり
楽しみなのだから
いや
夢に関して云えば
生涯を通じての最も大きな
楽しみと言ってもいいくらい
わたしの夢は 色はもちろん
味つき 匂いつき 痛みつき の
あらゆる感覚つき
子どもの頃から夢を見るのが楽しみで
毎晩『今夜の夢はどんなかしら?』
とわくわくしながら眠りについた
( 実際には明朝の夢なのだけれどね )
わたしにとって夢は
毎晩(朝)の大切な一大イベントで
それは大人になった今でも ずっと変わらない
夢は 昔からたくさんのことを
わたしに教えてくれる
そして わたしの心を知る
大切なツールでもある
どんな夢でも 少しでも多く
鮮明に覚えておきたいから
夢の途中で起こされたり
夢の続きを追いかけている時に邪魔が入ると
それが損なわれたり見失ってしまって
とてもとても残念で 悲しい
叶うことなら
目覚まし時計のない世界で眠りたい と
切実に願ってしまう
伸びに関しては
『 う~ … んっ 』としているところに
途中で茶々を入れられたりすると
もう台無し ☆
そのあとやり直そうとしたって
あの恍惚とした至福の気持ちよさは
ぜったいに味わえない
だから 確実に伸びを実行するために
わたしは密かに人の手の届かない
距離を計ってこれを行う
いい大人が
そんな子どもじみたいたずらなんて
そうそうするわけはないのに
必ずわたしは用心深くそれをする
なぜかというと
わたし自身がそれをする側の人間だからだ
人が伸びをしているのを見ると
脇腹を指でつつきたくてたまらなくなってしまう
見知らぬ人にですら
目の前にいるのに
それをすることが出来ない相手に対して
衝動を抑えるのは 相当の精神力が必要で
わたしはいつも自分の自制心の強さに感動する
『 自分がされて嫌なことは人にもしない 』
というのは
わたしの基本的理念であるというのに
我ながら実に質が悪い
自分がそんなだから
周囲の人を信用できない
安心してのびのびと
伸びをすることができない
まさか こんな小学生男子みたいな中身の
わたしを基準にして
ぎろぎろと警戒されているなんて
きっと 誰も思うまい
…
なんだか申し訳ない
奪われる と云えば
最後にとっておいた
中華丼ぶりや八宝菜のうずら卵を
横取りされるのもかなりいけない
だってどう考えても
うずら卵はクライマックスでしょう?
ああでも それを云うなら
いちごショートケーキのいちごもそうだし
( いちごショートは あの一粒のいちごの存在によって
イチゴショートとしてのアイデンティティを持つのだから
それを奪うだなんてイチゴショートのイチゴショートたらんとする
誇りを奪うに等しい野蛮極まりない行為だと思う
でももちろん 例えそうなったとしても
イチゴショートは 真実その誇りを穢されも奪われもしないし
わたしのイチゴショートに対する愛も決して変わらない )
それにそれに
最後の楽しみと云えば
サラダや お料理に添えられている
トマト( 櫛切りでもプチでも )もそうで
これは クライマックスというよりは
大切な締めの儀式ともいうべき
厳かな気持ちで 毎回臨んでいるから
やはり横取りは業腹だ
横取りという行為に『 厳かな 』という
キーワードを加えて云うのなら
お店で店員さんを呼ぶためのボタンを …
…
どうやらわたしは
自分で思うよりも 怒りっぽいらしい
守りたいものや
譲れないものがある というのは
時に幸せでもあり不自由でもある
こだわりを手放すかどうかは
本人次第
『 夢現 』と『 伸び 』以外は
かんたんに手放せそう
( ↑ というより元々遊び怒りの範疇 ☆ )
テーマ『 ブログ 』のつもりで
書いたけれど
『 寝言 』だったかもしれない …
くだらないことを本気で言って喜ぶ癖を
直そうかと思ったりもしたけれど
それがわたしなのだから
もういいと思う
…
でも ごめんなさい
明日も東京
おやすみなさい
゚・*:.。..。.:*・゚゚ 忘れてないよ ゚・*:.。..。.:*・゚゚・