1985年の夏はアメリカの西海岸にホームステイで

天神祭りが終わった頃からひと月ほど行っていました。

ロスではミッキーと2ショットを撮り

サンフランシスコでは工事で乾いていない

道路のコンクリートに勝手に友人たちと

自分たちの名前を、まるでチャイニーズシアターのように

刻んできました。

ホームステイ先のおうちではパイロットライセンススクールの

体験入学に連れて行ってもらったり、夏休みを満喫していました。

後数日で日本に帰る頃になって、目をうたがうニュースが

飛び込んできました。

TYO-OSA間のどちら行きで起きたかわからず

当時日本にいた彼がちょうどその区間を利用するかもしれないと

聞いていたので、連絡が取れるまではとっても心配でした。

日本に帰ってきて、両親から、新聞を見せられ

○○先生と、□□ちゃんのお父さんが・・・と

聞くなり、泣き崩れて、おみやげ話も出来ずに

そのままベッドにつっぷした帰国日となりました。

中高一貫校に通っていた私がお世話になった先生と

部活の後輩のお父様でした。

後日、友人から聞いた話では、先生は東京に研修出張だったそう。

体育の先生で、若い先生だったので、生徒からはお姉さんのように

慕われていた先生でした。

定かではありませんが、先生の身元確認は婚約指輪だったと

同級生から聞きました。

あまりにも辛すぎる最後。

後輩にしても15でこの現実を受け止めるのは大変だったことと思います。

また、別の友人のお父様は群馬県庁職員で、ずっと事故の対応に

追われていたそうです。

体育館での光景は想像を絶するものがあったと聞きました。

この事故の本当の原因はなんだったのでしょう?

隠された、封印された真実が、今でもあると思っています。

でも、どんなに究明しようとも、起こってしまった事故は

あの日、消えてしまった命は戻ってきません。

御霊やすらかにと、願うばかりです。

そして、あのような事故が二度とおこりませんように。


残されたわたしたちは、今を一生懸命生きましょう。

明けない夜はありません。


流星群、今年は見れるかな。

みんなが微笑んでいられる明日であることを願いたいと思います。


合掌