1人が平気になる為に | 人それぞれ音楽もそれぞれ

人それぞれ音楽もそれぞれ

音楽についてや、自身の障害について書きます

私の両親は離婚してるんだけど、いつしたかとか、本当にしたのかとか、詳しくは私は知りませんでした。


母と電話で話をしてて、話の流れで母が「あなたが決めたことは、それで良いと思うよ。好きにしていいよ」って言われて、私が父の事を話してる時だったので、少し嫌な気持ちになりました。



父はDVしてたので私は妹が精神科へ入院してる時に、知り合いのおばあさんの家の敷地内にある別宅を借りて住む為に、父に場所がバレないように母と弟と別居しました。


私は兄弟の中で唯一成人しており、学生では無かったです。


母は看護師として働いており、父との離婚の為の家庭裁判所へも行っており、妹の病院に洗濯物とか物を届けるのもしており、弟の学校の三者面談や授業参観も行っており、結構ハードな生活をしてました。


私は、ライブハウスも行きつつ、妹の病院が未成年者面会お断りだったので私も母の代わりに1ヶ月に2回位行ってました。


そして、家にいる日は家事は勿論、弟が大学受験する年だったので、大変だったかもだけど、悩み事とか何かあれば相談に乗ったりもしてました。


誰もが弱音を履いてる余裕はなかったのですが、思春期、反抗期の弟だけは凄かったので、仕方が無いなって思ってました。



母は勿論国家資格があったのでそれで働いてましたが、妹の病院へ行かなければならなかったので、残業が出来ず手当がなかったので、お給料はほんの僅かで、妹の入院費用と弟の学費と家賃と、水道光熱費と母と弟の携帯電話代金を払うと食費までお金が回らず、離婚もしてなく片親でもなかったので片親手当みたいなのも貰えず、とにかく貧乏生活って所だったので、私が働いて稼いだお金や、障害者年金があったので、ひとまず食べ物がないとか買えない等という事にはならなかったです。


私のお小遣いも1ヶ月に5万円で、ライブハウスに行ったり、携帯電話買ったり、タバコ買ったり、妹の面会に行けば妹の為に使ったり、好きなことに使ってました。


しかし、家族は誰も文句は無いし、貧乏生活って思ってたかもしれないけど言いませんでした。


私は22歳で、母は「好きにやりたいことはやればいいし、行きたい所は行けばいいし、自由にしていいよ」と言ってましたが、限られた所の中からしか選べず、我慢はしてました。



外泊(友達の家に泊まる、ライブハウス遠征)は出来ず、直ぐに自宅へ帰れる距離しか夜は出かけられなくて、自分の時間ができないと出かけられず、凄くしんどかったです。


夜中にようやく自分の時間が出来て、SNSでライブハウスで飲んでる人を探して朝まで遊びに行かせてもらってた時もありました。


その時の自宅からライブハウスは6件程が遠くても徒歩で30分圏内に有りました。


寝る時間も惜しむほど、外で人と遊びたかったんです。


両親が離婚する時に、母の苗字にまだ未成年だった兄弟は親権が母だったのでしましたが、私は成人してたのでどちらにも親権はなく、父の苗字で未だに過ごしてます。


父が「成人したら自分の事は自分で何でも出来るようになって欲しい。だから離婚した時にお母さんの方へ行くのなら、戸籍はお母さんの苗字になればお母さんとだけど、お父さんの苗字なら1人だよ」って言われており、私は母に着いて行ったので、後の離婚後は知らぬ間に戸籍が独立されてました。



良くも悪くも一人暮らしをするまで気が付かなかったです。


そういう制度を知らなかったんです。


私は父と会わないようにもしており、少し1人と向き合うのに時間がかかりました。


でもその時はライブハウスに行けば仲間は居るので、あまり気にしないようにしてました。


私は何をするにも深く考えるので時間がかかるんです。


自分の障害を受け入れるのも、良かれと思って家族の為に家にお金を入れたり家事をする為に一人暮らしを諦めて実家にて過してたのに、それを否定されて母に自立を促されてした事も、なんか私の考えが良くなかったのか?って悩む時間が長いんです。


話を戻すと言うか、最初の母との電話の話に繋げると、沢山考えてでもダメで、諦めたり、周囲から色々言われて挫けて悔しい思いをしたり、結構今までが多すぎて、自分で何かを決めることが怖いのが私なのですが、

「あなたが決めたことは、それで良いと思うよ。好きにしていいよ」って母が言うので、「今まで好きでそっちの道を選んだ訳では無いし、そっちの道に仕方なく行った時もあったし、自分で選んだって言うけど、違う道を選んでたら凄いリスクあっただろうし、嫌な思いも今より沢山しただろうに、誰がフォローしてくれるのよ!!離婚当事者じゃない私がそのせいで我慢も、悔しい思いも沢山しても知らん顔でしょ。いつ離婚成立したかも教えて貰えてないのに、離婚したって何なのよ!今まで自分の思い通りに好きな様になんて出来なかったのに私が今までも好きで決めてきたと思わないで。そんな言い方しないで。私の決断だと思わないで。やむを得なくこっちを選んできたんだから」って言ったら「そんな言い方されても」とか「なんでいつも過去に戻るの?」とか話が噛み合わなかったんだよね。



私は言葉が無責任だって事を伝えたかったんだよ。

軽々しく言うのは嫌だなって。


母なりの優しさかもしれないけど、私にとってはとてもキツイ言葉を投げつけられた感じがして、何も考えてないんか?って思いました。


妹も電話に出て、「そういう事を愚痴れる友達を作った方がいい」とか言うけど、実際問題コロナ禍になってから、ライブハウス行っても友達は福祉や医療関係に勤めてたり、持病が有る人が多いから、来なくなっちゃってSNSも辞めてるから会えなくなったから、友達は居ないんよ。


今の職場のルールマニュアルに書いてあるのも、「仲良くするのはいい事ですが、連絡先の交換や手紙のやり取りはもめ事の原因となるのでやめてください。プライベートで会うのもやめてください」ってのがあるので、職場で友達作るのは出来ません。


このブログもですが、顔が見えない人と文字だけでのやり取りは、誹謗中傷が来たり、指摘されたりするのが、心が持たないのでできないようにしてます。


YouTubeでも誹謗中傷撲滅動画が沢山出回ってるので、YouTuberもそうなんだなって思ってます。



戸籍が独立され、一人暮らしを始め、とうとうコロナ禍にもなって、私結構考えて決めたのは、1人でも平気になろうって。


今年の目標決めたのあるけど、ライブハウス行った時に1人でライブ見た時に、何か寂しかったんだよね。


1人の趣味沢山見つけよってなったのが、3月末頃よ。


元々読書好きだから読書と、ラジオ好きだからラジオ聴くことと、ウクレレやってみたかったから買ってやる事と、生配信ライブ(YouTubeライブやツイキャス等)を見る事と、キャラクターの刺繍してみようかなって事でした。


元々1人がそんなに嫌なタイプじゃないけど平気になると、楽かなって思います。


煩わしい人間関係のごちゃごちゃを排除すると、ストレスが軽減して今まで飲んでたアリナミンナイトリカバーも飲まなくて済んでるので、良いです。


心がそこまで疲れないと思うでしょ?


1人に慣れると逆に少しの事でも過敏になるからそれはそれで辛いよ。


でも徐々に慣れようとしてます。



精神科の主治医やソーシャルワーカーや、職場のスタッフや計画相談の人は、お金で繋がってるので私の見解はお金の関係が切れたら、どんなに今まで良くしてくれてても契約が全てなので、切れたら関係も終わりになってしまう、私が優しさを買ってる様なものなので、信用はしても、信頼は無いです。


お金を払わなくても、逆に私に食事を御馳走したり物をくれたりする人様な関係の人や、何にもない時にでも頼ってくれたり、優しくしてくれたり、傍に居てくれる人は、多少の事でもその人の事を私からは離れないし、何があっても少々の事は許すし、何かあればいつでも飛んでいきたいですが、以前の親友はそんな関係でしたが、会えなくなってしまったので、私は友達が居ないので、1人が平気な私で居られるよにしてます。


母は、電話で「あなたの心の器は陶器で出来てて小さくて直ぐに割れるから、沢山のことは入らないし受け入れ難いし、直ぐに傷が付きダメになるから、難しいの。だから、その中でもしっかり相手の事を聞いて決めつけたり想像で勝手に思わないで、受け止めて柔軟になる事も大切よ」って言われました。


私は言わなかったけど、「傷ついて割れた時はお母さんがその都度金継ぎすればいいのに」って思ったけど、そういうことじゃねーよって我に返ったときそう思いました。


私は冗談や洒落は通用しない真面目一筋って思われがちだから、滑りもせず真面目に怒られるだけなので、言えないですよ(т-т)


もっと心の底の思ってる事を、母と私とで互いに言い合えたらスッキリするんだろうなって思いました。