やしの木こんにちはやしの木

ちょっと思う事があってので、私が普段から考えていることと一致した記事を持ってきました。

他の人を引用しないでも自分の意見が書けると良いのだが… 能力不足な私笑い泣き

以前から「まだ子どもなのに、この年齢で、こんなに辛い経験をして可哀想」という人がいて。確かに「それは理不尽だ」と思う場面もあって、セクハラ紛いな対応を大人から(他者から)受けることは、年齢に関係なくあってはならないことだと思います。

ただ…その方の話しから「ん?」と思う場面もあって、それは…ある意味子どもが成長するチャンスなんじゃないのか?と思うこともあるのです。


コロナ禍なので、高校時代、中学時代をオンラインで過ごして可哀想。将来のチャンスも絶たれて可哀想、というような話しをされているのを聴くと、違和感なんです…私。


確かに、コロナ禍で大変な思いをした、している人はいて、世界の人達が平等に?大変な思いをしている。その被害が大きいか、どうかは、人それぞれであって、その方の捉え方も関係している、と思います。


しかし、子どもが1番被害に遭っているとか、一部の子どもだけが被害に遭っている、と思うのは、そう思われる子どもが可哀想なんじゃないか、とも思うんです。同情されたり、哀れまれたりするって惨めな気持ちになるじゃないですかね。

それに、もしかしたら、子ども達が自分達の状況を悲惨だと思っていないかもしれない。しかし、周囲が勝手に可哀想だと言い続けると言うことは、そういう考えを子ども達に植え付けてしまっている可能性もあると思います。私ってこんなに可哀想…みたいな。

それより、こんな状況でも頑張れているあなたって素晴らしい!こんな状況下で耐えられる力が備わっている子どもが誇らしい!と思う。その方が子ども達は嬉しいと思うんです。自分はできるという自信にも繋がると思います。


それはこの時代の子ども達が大人になっても同じだと思います。大人になってから「コロナの時はマジヤバかったよねぇ」「学校殆ど行けなかったけど、毎日夏休みだったー」と笑い飛ばせるようになるか、「コロナのせいで人生狂わされた」とコントロールできない事に怨みを持つのかは、私たち大人にかかっているとも思います。


この記事の中に


子どもに被害者意識を持たせない


子供の苦痛を防ごうとしない


と書いてありました。


特に親は子どもの苦痛を取り除いてあげたくなる。それは親心だし当然な思いだ、と思う反面、私たち大人が子ども達の貴重な経験を奪ってはいけないとも思います。世の中は理不尽な事が多いです。これが正しいと思っても、その通りにいかないことも多い。


親として、

その理不尽なことを全て取り除こうとするのか。

それとも、なにが起きるかわからない人生で、どんな苦境にも立ち向かえる強さを持った子どもに育てていくのか。

子ども達の為に、なにが必要なのか。どう育っていって欲しいのか。


私は、自分がいなくなった時、子どもが成長した時に、子ども達が1人でも立って子ども達の人生を歩んでいかれるようになって欲しいです。それには子ども達自身が自分自身で、失敗して、挫折して、悔しくて、いろいろ考えて、成功して、嬉しくて、というさまざまな経験や思いを重ねていけるように共に歩んでいくしかないと思います。


子育てしていく上で、私達大人が自分自身の生き方やその在り方を考える必要があるのではないか、と思います。



1点だけ補足

ここに書かれている精神の強い人という表現。

私はあまり好きではないです。精神的に強ければ、なんでも乗り越えられるみたいな精神論に訴えかねない表現だと思います。精神的に強いというより、大人も精神的に成熟している、という意味ではないかと思います。そうすれば、子どもを信じる、子どもの潜在的な力を信じる、事ができるようになる…そんな感じかなと。