やしの木こんにちはやしの木

 

以前から、ちょっと困った人だなと思っていた方がいて。先日、久しぶりに会ったのだが、やはり、、、困ったちゃん行動発動された汗

 

彼女は、常々自分がどれだけ悲劇のヒロインか、という話することが好きだ。

常に聞き役の私の立場や感情は全て無視して、自分の置かれた立場がどれ程可哀想かと言う話をするガーン 

こういう状態を自己憐憫というのだが、「自分を哀れんでいる状態」なのだアセアセ

悲劇のヒロインである。

 

私は、大概「そうなんだ」と聞いているだけだが、、、。

パンデミックが始まった頃に、「自分は家族がいないし一人だから、大変だ。家族がいる人は問題がない(家族がいれば全ての問題が解決する)」と言っていた。

確かに一人では心細いと思うし、人と会う機会も少なくなるので、寂しいと思う。

しかし、家族がいるからこそ大変な人がいるのではないか?!と投げかけても、実際に聴く耳は持っていないので、スルーされて終わる。

 

これは話の一例だが、彼女は過去に起きた家族からの迫害や、デートDVやオットの依存症の問題などなど、会うたびに、自分がどれだけ大変か、という話をする。

 

自分の心が健康な時は、聞き流すこともできる。しかし、私やその家族にもさまざまな問題が起きるのは、生きている限り当然なことで、そういう自分自身に余裕がない時は、特に彼女の自己憐憫に浸っている状態に殆、疲れてしまうぼけーというのが本音である。私は他の人のように、ただ優しく話など聞かないので、時々「家族がいるからこそ、DVの人や家族内に虐待なんかあったら、大変だ」というようなことを言って、時々釘を刺す。彼女にとったら、嫌な存在だ。

 

そして、こういう人の傾向として、自己責任的な発言や思考はなく。「〇〇だから、自分はこうなってしまった」と言って、他責的なのである。だから私が厳しいことを言うと、彼女は自らの行動を振り返らず。全て悪いのは、そらもきだという理屈になるのだ。自らを省みて、行動を改めようとか、他の人の気持ちはどうなんだろうか、というところには考えが及ばないのであるショック

 

で、そういう人の性格傾向として、ナルシストが挙げられる。

結局、自分が好きというか、自己中心的なのである。

 

 

面白いことに、

自己憐憫の人の対処として、日本語で記事を読むと、「離れるように」と書いてあるのだが、英語の記事の傾向として、「いくら私に話しても、あなたの問題は解決しないから、専門家と話をしたらどうか」と対峙するような事が書いてあるのだ。文化が違うと、記事の内容としても、こうも違うものかと思う。

 

 

 

 

こう言う状態は、誰にでも起きるもので、特別なことではない。辛い出来事や悲しい出来事が起きれば、自分が可哀想だとか、誰にも気持ちを分かってもらえないとか思うことは、当たり前のことだ。しかし、それはあくまで一過性のものである。

 

ただし、常にこのような状態であることは、精神的に不健康かつ、人間関係の問題を引き起こす。もし自分が常々悲劇のヒロインになってしまっているのであれば、専門家の助けを得ることが重要である。しかし、残念なことに、こう言う人に限って、この人は話を聞いてくれないと思ったら、次に話を聞いてくれ、同情してくれる人を探し、自分の不幸話しを重ねていく。その為、ネガティブなスパイラルから抜け出せないし、不幸話しで、自分の一番得たいアテンションを得ることができるので、さらにネガティブなスパイラルから抜け出せなくなる。しかも自分が不幸でなくなると、注目を得ることができなくなってしまうので、それこそ本末転倒だチーン

 

不幸自慢しても、楽しいことないだろうに、、、、と思ってしまうのだが、本人はそれで満たされるのだから、まぁ頑張ってくれと言うしかない。