長月晦日
教育勅語発布
明治23(西暦1980)年10月30日、「教育勅語」が発布されました。
今日は「教育勅語」が発布されてから(太陽暦で)126年目の(グレゴリオ暦)10月30日となります。
教育勅語は急激な時代の変化と開国に伴う西洋化を危惧された明治天皇が、改めて道徳教育の基本方針を立てたいと願われたことにより、内閣法制局長官井上毅と儒学者である元田永孚が中心になり作成されました。
明治天皇が首相と文相にみずから与えた勅語で、文中では「爾臣民:なんじしんみん」、すなわち我が國の国民に語りかける形式をとります。
教育勅語手本
明治神宮ホームページより
まず皇室の祖先(高祖皇宗)が、日本の国家と日本国民の道徳を確立したと語り起こし、忠孝な民が団結してその道徳を実行してきたことが「国体の精華」であり、教育の起源なのであると規定し、続いて父母への孝行や夫婦の調和、兄弟愛などの友愛、学問の大切さ、遵法精神、一朝事ある時には進んで国と天皇家を守るべきことなど、守るべき12の徳目(道徳)が列挙され、これを行うのが天皇の忠臣であり、国民の先祖の伝統であると述べられます
これらの徳目を歴代天皇の遺した教えと位置づけ、国民とともに天皇自らこれを銘記され、「ともに守りたい」と誓って締めくられるのが「教育勅語」なのです。
2.兄弟ニ友ニ(兄弟・姉妹は仲良くしましょう)
3.夫婦相和シ(夫婦は互いに分を守り仲睦まじくしましょう)
4.朋友相信シ(友だちはお互いに信じ合いましょう)
5.恭儉己レヲ持シ(自分の言動を慎みましょう)
6.博愛衆ニ及ホシ(広く全ての人に慈愛の手を差し伸べましょう)
7.學ヲ修メ業ヲ習ヒ(勉学に励み職業を身につけましょう)
8.以テ智能ヲ啓發シ(知識を養い才能を伸ばしましょう)
9.德器ヲ成就シ(人格の向上に努めましょう)
10.進テ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ(広く世の人々や社会のためになる仕事に励みましょう)
11.常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵ヒ(法令を守り国の秩序に遵いましょう)
12.一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ(国に危機が迫ったなら国のため力を尽くし、それにより永遠の皇国を支えましょう)
なにかおかしな事があるでしょうか?少なくても自分にはごくごく当たり前の人間の在り様に思えます。
しかしその当たり前の人の姿が、人として、そして國としてものすごく重要だとも思えます。
明治神宮にて購入後持ち歩いている「教育勅語」
裏には五箇条の御誓文と明治天皇御製・
昭憲皇太后御歌が書いてある
日露戦争に日本が勝利すると、その勝因は「教育勅語」にあったという噂がヨーロッパで広がり、東京大学と京都大学の総長を務めた菊池大麓博士が2年にわたり欧米で「教育勅語」の講演を行った際には大絶賛されたそうです。
しかし、これが逆に警戒され、大東亜戦争敗戦後、わが國の教育勅語や修身(道徳)教育は連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)により廃止されました。
そこには当然廃止による日本の弱体化という思惑が絡んでいたと思われます。
しかしGHQは「日本の弱体化政策」などおくびにも出さす、教育勅語が神聖化されている点を強調して問題視し、文部省は昭和21(西暦1946)年に奉読(朗読)と神聖的な取り扱いを行わないことを通達、その後昭和23(西暦1948)年6月19日に、衆議院では「教育勅語等排除に関する決議」が、参議院では「教育勅語等の失効確認に関する決議」が、それぞれ決議されて教育勅語は排除・失効となります。
その後も教育勅語は一部の思想・信条の人の元に利用され、軍事教育や軍国主義を彷彿とさせる傾向があるとされ、その主張が声高に通り、公の場で聞くことはほぼ皆無となっているのが現状です。
大東亜戦争敗戦から(太陽暦で)71年、自分達は改めて教育勅語と修身教育を見直し、必要なものは自らの手で復活させても良い時期ではありませんか?
明日はケルトの古い大晦日に端を発すると言われるハロウィン、今や我が國では大仮装パーティが待ち中で繰り広げられるお祭りの日、夜中仮装しながら街中をお祭り騒ぎで練り歩いても安心・安全な我が國を造ってくれたのは誰達なのか…改めて感謝し、そんな國であり続ける為にももう一度考え直す事が多くあると感じる長月晦日です
実はこちらでもブログ書いています。
そらみつ富山は稽古照今を大きなテーマに色々綴るブログですが、他にもブログ書いたりホームページをつくったりして(しようとして)います
あまりというか、かなり更新していないのが悩みですがよかったら覗いてみて下さい
■パンダネコ■
■〇〇(仮)■
それでは最後まで読んで頂いてありがとうございました