雨の蒸し暑い日に伊勢神宮の内宮の古殿地前に立った時のこと。

霧に包まれ玉砂利が綺麗に敷かれた場が、清閑で荘厳な古代の祭祀遺跡のように映りました。お社がない方が神なる存在に相応しいとすら感じたのです。

ふと思いついて祠に意識を合わせてみました。以前から古殿地の小さな祠を見て「あれが正宮の本体なのだろう」と類推していたからです。祠の場所は次の遷宮で心御柱が建つ予定地なんだとか。

最初うっすらと神官作の結界を感じました。そしてすぐに光り輝く黄金色のイメージと強烈なパワーが飛び込んで来たのです。
この感覚をこの時に言語化しておかなかったことを今後しばらく後悔することになるかも知れません。
ただ『凄い』としか思わなかったのです。どう凄かったのか記憶できなかったじゃん。バカなアタクシ。

ただ分かったことがひとつあるとすれば、お社という仕掛けにもちゃんと意味がある場合がありそうだと理解に至れたことでしょう。

お社なんて飾り、とずっと思ってきましたがそうじゃないこともあるんですね。