糸魚川遠足から1週間が経ってしまいました。

沼河比売と御子の建御名方命のブロンズ像を、日本海を臨む場所でパチリカメラ

糸魚川には計3体の沼河比売像があるんだそうですが、もう一つは若干遠いので断念しました。

左手に持っているのが

こんな感じの玉なのですね。

個人的には建御名方命の造形はママ大好きっ子より、もっと意志の強そうなしっかりした感じの少年にしてほしかったな…と思いますが、作者のテーマが母性だったのかも知れませんね。


さて、話変わって。

今回ははっきりと能生白山神社さんに呼ばれたと断言できるのですが、じゃあ呼ばれてどうだったかに触れないわけにはいきませんね。


とは言え、正直なところいわゆるメッセージを受け取ることはできませんでした。


白山神社さんの拝殿やご本殿前でお参りしたところ、独特の気が私を包み込んだのです。

伊勢神宮や三輪神社などで感じる「ご神気」とは全く違う物でした。どこかあっけらかんとした不思議な波動で、若干仏様的な気も感じたのです。神仏習合の修験道の系譜を持つ白山信仰のお社なのだからさもありなん。


お祭りの前日だったせいなのかもしれませんが、神社に伝承された神々だけでなく、もっと沢山の方がお越しだったみたいでした。御眷属かも知れませんが。


そんなこんなでメッセージを受け取りたくても、まるでラジオで放送局が探せない時のようにジャミングが酷くて周波数が合わなかったのです。残念。


ただ今考えると沼河比売命として祀られている神様が縄文時代からの古い神だった、という下調べで得た感覚だけは間違いないと強く思うのよねー。


というのも、フォッサマグナ・ミュージアムで購入したこの御本を読む限り、翡翠の女神さまが大切にされたのは縄文時代に違いなさそうだ、と分かったから。弥生時代は金属器に宿る神々へ信仰がシフトして行った、と言うのです。銅鏡とか銅鐸とか銅矛とかですね。

あー、なーる。わかりみ。宗教が変わったというか、新支配者によって彼らの信仰を強要されたというか、生活の変化の中で新しい神を受容して行ったというか。

記紀に姫神の名こそ残されたけど、信仰の実態は忘れられたか封印されたのかも?


封印されていた縄文の神様の復活という、壮大な話題について「ふーんそうなんだー」と感心しながら見聞してきたのですが、或いはその一環を見せていただいたのかも?とかなんとか思っちゃったりして。


よく神話の世界(弥生時代の勢力と同義?)は伊勢と出雲の二極ととらえられますね。いやいや第三極縄文の神々の存在を忘れてはいませんか?と教えてくださったのかも⁇

宝石の川の姫神さまに「正解ですか?」と質問したら、どんなお返事がかえってくるのかしら笑ううさぎスター