糸魚川遠足の準備をしながら色々と調べています。
学生時代に聞いたことってほとんど忘れちゃっているのだろうなぁと思っています。
それでも「大国主と沼河比売(ぬなかわひめ)の結婚という神話は、出雲の国と越の国との交易や同盟的な関係を表す」
と聞いた話は、なぜかいまだに記憶していることの一つでした。
出雲の国と越の国の関係の深さを考古学的に証明する「四隅突出型墳丘墓」というのがありましてね。
まず墳丘墓というのは弥生時代の権力者のお墓のこと。
(古墳は古墳時代の権力者のお墓ですので別なのね)
出雲地方とか広島県とかの内陸とか、北陸付近で発見されているこーんなヒトデみたいな珍しい形の墳丘墓が四隅突出型墳丘墓です。
これがある土地は出雲と縁の深い…というか、もっと積極的に同盟関係にあった国というべきなのでしょうね。
下図が四隅突出型墳丘墓の分布図です。字などちょっとよく見えませんが雰囲気として捉えてください。
今回重要なのは北陸地方の分布ですね。福井や小松、富山付近に散見されます。弥生時代のある時期、この付近に出雲と何らかの事情で同盟関係を結ぶことにした越の国の首長が存在していたということがわかります。
マッピングした19社のうち10社が糸魚川市と上越市付近に点在しています。
神話に登場する沼河比売が大国主命との間にもうけたお子が建御名方命ということで、建御名方命をご祭神とする諏訪周辺にも5社あり、高岡市に1社、石川県羽咋郡に2社、そして取って付けたように松江市の美保神社境内に1社あるのだそうです。
うん…。
なんとなくなんだけど、糸魚川市~上越市の密集具合と比べると高岡市や羽咋郡の3社は質が違うような気がしてきますね。
調べてみましたら高岡市の気多神社は国府所在地に気多大社の出張所的存在として奈良時代に造られたみたい。
で、元になった気多大社のご祭神は大国主命だけなんですよ。なんでかな。
そもそも沼河比売とはどんな神様なのか??
ヌナ河のヌとは宝石のことだそうですよね。要するに宝石の川の姫ということ。
そしてそれが転じて布川とよばれるようになったみたい。
現在糸魚川市内を流れている姫川の古称が布川だったんですって。
そして姫川の上流には翡翠が採れる小滝川がある。
姫川の神格化が沼河比売なんでしょうねー。
人格神ではないと思います。
そして糸魚川の翡翠がいつから人の手によって加工され始めたのかというと、約5000年前とのこと。
縄文時代じゃーん。
沼河比売って縄文時代からの豊穣神なんじゃないの??