まだまだ先だ先だと思っていたのですが、今日で平成が終りを迎えるということで。
あまりお天気が良くなくて残念ですねぇ。
実質ご譲位に当たると思うのですが、今般は天皇陛下が政治的な行為をすること
まかりならぬということで『ご退位』と申し上げるらしい……。
1817年に光格天皇が仁孝天皇に譲位して以来のことというからなんと200年ぶりなのかー。
仁孝天皇の次が孝明天皇ということで、案外最近のことじゃん…とか思ってしまったのですが、
ワーテルローの戦いが1815年と聞くと、やっぱり全然大昔だわぁと訂正。
最初の天皇の譲位が645年皇極天皇⇛孝徳天皇です。1374年前……超大昔。
これは蘇我本宗家を滅亡させた乙巳のクーデターという政変が契機となってのものでした。
皇極天皇は中大兄皇子と大海人皇子のママンで、夫である舒明天皇の崩御をうけて即位。
孝徳天皇は同母弟。
クーデターの首謀者が誰か、については諸説ありますが、おそらく皇極女帝の退位前提の
計画だったと思うんですよ。
もともと女帝が即位する背景には「天皇(大王)としてふさわしい人材がいないか、いても幼少」と
いう事情があったわけです。最初の女帝の推古天皇も苦肉の策として登極したのでした。
ただ推古天皇は多分当初の想定よりも長生きしすぎてしまって、やっぱり次の代の選定に揉める
顛末になってしまったのでした。
そんなわけで皇極天皇は推古天皇の時の反省を活かし、天皇候補者がある程度の年令に
なったら譲位することを前提として即位した、という説もありますねー。
中国では譲位というのは7世紀までにはなくて(禅譲の伝説は除いて…)、朝鮮半島諸国で
どうだったのか私知らないんですが、皇極天皇が「予定通り」譲位したのか、はたまた
身内が参画した政変で「驚天動地の中」譲位に追い込まれたのか、真相やいかに!?
「真実は一つ」なんだそうですから、誰かこっそりタイムマシーンでみてきてくれないですかねー。
今上におかれましては御本人のご希望でのご退位。
歴代のみならず、諸外国見渡しましても名君であらせられたと存じます。
どうぞ明日よりごゆっくりとお元気におすごしいただきたいと思います。