国民が、入っているかもしれないがそれとはすぐにはわからない毒を日常的に口に入れることになるという危険性をはらんだ食べ物を食べてもよい(もしくは選択は勝手に個人でするように)と言ったのは小泉首相であるが、彼にとって大事なのは、


自分を雇っている(はずの)主(国民、というか守るべき民)よりも、別になにかしてくれる保証のない大きな国(アメリカ)、というかブッシュ(心の友)である。


というのは今に始まった構図ではないにしろ、一国のボス、ともあろうひとが、おこなうべき選択ではまったくない。


ここにきてひとつ浮上するものに、首相には、お友達がいないのではないか(だから、誰でもいいから自分に心を開いて?くれたひとを、落胆させたくないという、子ども的な感覚が生じる)。という、しごく単純かつ哀しみにみちた疑念がないではないが、


そんなおともだちごっこに付き合わされる我々の未来とは、いったいなんだろう。

そうして、スーパーのラベルの「オーストラリア産」の文字を、なんとなく疑ってしまうときがやってくるかもしれない我々の未来とは、いったいなんだろう。


むー。