たぶんアリエールCMのせいだろう。
ネプチューンタイゾーが脱いだ靴下を布巾の置いてある洗濯機にいれる、直截すぎるあのCM。
「不快」「お父さんに失礼だ」の声にまじり、
「わかりやすい」「清潔になる」という声がちまたではある。
アタックのアリエール系洗剤新CMは、なぜか前者ではなくて後者を意識している。
一日履いて臭い靴下。
一日働いて臭うワイシャツ。
汗だくで臭い運動着。
トイレの手拭タオル。
家族でわざわざそのにおいを顔を近づけて嗅ぐ。
そんな臭いも一網打尽!
かどうかは知らないが、匂いが取れますよ、というだけの、要するにターゲットをしぼりきって誇張したわかりやすい洗剤CMである。
しかし不運なことにたいていそのとき食事中であるわたしは思う。
なぜそんなに汚さと臭さにリアリティが必要なのか、と。
かつて洗剤CMは、そこまでリアルに「汚」を感じさせるものはすくなかった。
汚れ落ちをターゲットにするなら、落ちるときのイメージ映像と真っ白になった洗濯物がはたはたと陽光にきらめき、美人で若いお母さん(最近では美しいお兄さん)が子どもに向かい幸せそうに微笑む、それでよかった。
ながいあいだ、それですべては事足りたはずなのである。
時代は流れ、洗剤の質も格段に向上した。
日本という国はおそらく、その家庭事情や湿った環境のせいで、
臭い というものに敏感である。
そんなときに
部屋干しでも臭わない
煙草の匂いがつかない
というキャッチフレーズは斬新であった。
(ちなみに日本のものはアメリカなどと違い環境を考えて少量で汚れ落ちのする優秀な洗剤でもあるらしい)
しかしだからといって
トイレのタオルの匂いを嗅ぐシーンはどう考えてもいらない。
こっちは食事中なんである。食っているほうがわるいってことか。
そしてご丁寧にもきれいになった姉の靴下を嗅ぐ弟が出てくるが、
なにもわざわざ履いているところを嗅がなくても良いのでは?
と思うのは老婆心であるだろうか?
洗剤とリアル。
この闘いはしばらく続きそうなムードである。
ネプチューンタイゾーが脱いだ靴下を布巾の置いてある洗濯機にいれる、直截すぎるあのCM。
「不快」「お父さんに失礼だ」の声にまじり、
「わかりやすい」「清潔になる」という声がちまたではある。
アタックのアリエール系洗剤新CMは、なぜか前者ではなくて後者を意識している。
一日履いて臭い靴下。
一日働いて臭うワイシャツ。
汗だくで臭い運動着。
トイレの手拭タオル。
家族でわざわざそのにおいを顔を近づけて嗅ぐ。
そんな臭いも一網打尽!
かどうかは知らないが、匂いが取れますよ、というだけの、要するにターゲットをしぼりきって誇張したわかりやすい洗剤CMである。
しかし不運なことにたいていそのとき食事中であるわたしは思う。
なぜそんなに汚さと臭さにリアリティが必要なのか、と。
かつて洗剤CMは、そこまでリアルに「汚」を感じさせるものはすくなかった。
汚れ落ちをターゲットにするなら、落ちるときのイメージ映像と真っ白になった洗濯物がはたはたと陽光にきらめき、美人で若いお母さん(最近では美しいお兄さん)が子どもに向かい幸せそうに微笑む、それでよかった。
ながいあいだ、それですべては事足りたはずなのである。
時代は流れ、洗剤の質も格段に向上した。
日本という国はおそらく、その家庭事情や湿った環境のせいで、
臭い というものに敏感である。
そんなときに
部屋干しでも臭わない
煙草の匂いがつかない
というキャッチフレーズは斬新であった。
(ちなみに日本のものはアメリカなどと違い環境を考えて少量で汚れ落ちのする優秀な洗剤でもあるらしい)
しかしだからといって
トイレのタオルの匂いを嗅ぐシーンはどう考えてもいらない。
こっちは食事中なんである。食っているほうがわるいってことか。
そしてご丁寧にもきれいになった姉の靴下を嗅ぐ弟が出てくるが、
なにもわざわざ履いているところを嗅がなくても良いのでは?
と思うのは老婆心であるだろうか?
洗剤とリアル。
この闘いはしばらく続きそうなムードである。