やはりめまい感が酷く、

生理が遅れていて、生理痛だけがずっと続いている。


そのうち来るのか、そろそろ来なくなるのか、

とにかく生理前のめまい感がとても辛い。



まだ点滴を受けたりするほどではないが、

リビングで一時間寝て三時間起きての繰り返しで、なんとか家事だけこなしているが、

それもギリギリで、シャワーは浴びるのも命がけになっている。



リビングに入って来た息子に、

寝たり起きたりで一日を無駄にしていると言うと、

寝て起きて飯食ってまた寝られるんだから、

めちゃくちゃ幸せじゃん。

お父さんはお母さんが寝られるようにって、

一生懸命働いてくれてるじゃん。

お母さんは幸せなんだよ。



なんか買って来ようか?



そう言われて思わず泣いた。



翌日、学校が休みだった息子が、

お母さんの好きなスイーツを食べに行こうと、

オシャレじゃないカフェに連れて行ってくれて、

私は普段食べないフレンチトーストを頼んだ。

甘い物があんまり好きではないのだが、

メニュー表の写真が美味しそうだった。



出て来たら写真よりふんわり量が多くて、

お腹を壊していてふらふらだった私には、

とても全部食べられそうになかった。



息子が半分小皿に取って食べてくれて、

どうでもいい話をポツポツとした。



僕はお父さんが好きだし感謝してるけど、

お母さんの体調考えたら、

自分の部屋(夫)をお母さんに渡して、

リビングで寝させるの普通はやめると思うんだけど、お父さんは普通じゃないから仕方ないか。



そう言って息子は軽く笑った。






私は子供は一人で良いと思っていた。



娘を産んで大変だった。

子供が一人ならゆとりのある暮らしが出来た。

夫がもう一人欲しいと言った時、

私は子供は娘だけで良いと言った。



仕事が辛い、もう一人子供がいれば、

俺は頑張れると思うんだと夫はしつこかった。

授かった時は嬉しかったが、

その後の子育ては結局ワンオペで、

ほとんどが私の負担になった。



寝る時間がない日が何年も続き、

やっぱり子供が一人だったらこんなに辛い日々じゃなかっただろうにと、

頭をかすめる事もあった。



しかし幼い息子は可愛くて、

結局どちらの子供も可愛かった。



私は早くに娘を産んだので、

若い頃は母親だと気づかれない事もあった。

父親似の娘は私に似ておらず、

童顔だった私は本当にお母さんなのと、

他人に良くそのような事を言われた。



娘は大変に傷つき、

お母さんに似たかったと、

子供の頃は良く泣いていた。



私は夫に似ている娘が可愛くて、

何を言っているのだと、

世界中でおまえが一番可愛いと、

言い続けて来た。



本当にそう思っていたし、そこは一生変わらない。



息子の時は年相応で、

なんなら二番目に年上だった私は、

特に何か言われる事もなく、

忘れ物が多く勉強が出来ない息子に翻弄されていた。



何度かもう息子を育てるのは無理だと思ったが、

重い喘息の息子はきっと私以外の誰かが面倒を見たら、命を落としてしまうだろうと思った。




時々、サケの産卵を思い出し、

命懸けで卵を産み死んで行くサケを思った。



私も子供達の為に命懸けで育てなければ、

サケでさえあれだけ頑張って命を繋いでいるのだからと、

わけのわからない事を、徹夜の小児病棟で、

酷い咳の息子を抱えて背中をさすったものだった。



気づけばそんな息子に気を使わせて、

本当はお腹がいっぱいだったらしいが、

私が後で吐くかもしれないと、

パンケーキを半分食べてくれた息子。



気づけばもうすぐ私は五十歳で、

息子は大人になっていた。

息子が私に優しいのは、やはり私がヨロヨロだからだろうなと思っている。



私はもう普通に過ごすのは無理なのかもしれない。

それでも息子の言う通り、夫のお陰で寝ていられる。



また楽な日も来るだろう。

そう期待して生きて行きたい。