病気になる前、看護士の友人から聞いた話。


ある難病の女性が、裕福な夫の家で、

車椅子で暮らしていた。



彼女は不自由な体で、

なんとか夜ご飯だけは作っていた。



キッチンは立っている人用のもので、

彼女は腕が真っ直ぐ上がらない。

それでも手を伸ばして車椅子でも、

毎日食事を作っていた。



裕福な夫は妻に一円も使いたくない男で、

食器を洗う時は真冬でもお湯を使うなと、

妻に厳しく伝えていた。



寒冷地で真冬の水道水はとても冷たい。

でも彼女は夫のために夕食が作れる事を、

喜んでいた。



当時まだ30代前半だった私は、

なんだその旦那ふざけるな、

奥さんもなんでそんな男にご飯作るんやと、

人ごとながら非常に腹を立てていた。



しかし時が経ち、自分も体が不自由になって来ると、あれだけ嫌だった家事が出来る事を、

氏神様に感謝するようになった。



出来ない事が圧倒的に増えると、

出来る事を必死で探すようになった。



元気な時は夫にああしてくれない、

こうしてくれないと文句ばかり言い、

病気になった今は、感謝ばかり口にするので、

自然と夫も優しくなった。



朝起きると回転遊具から降りたような感覚で、

とても朝ごはんの用意など出来ない。



夫は基本座ったら動かず、

食器の上げ下げもしないタイプだが、

私が試合後の矢吹ジョーのように、

ソファに呆然と座っていると、

黙って冷蔵庫から食事を用意して、

食べるようになった。



今から長時間外で働くのだ、

温かい飲み物くらい出したいと思う。

が、体がふらふらで動けない。



なんとか見送りだけして、

少し散歩をしてから家に入るが、

手押し車のおばあちゃんと同じスピードで、

どうしたものかと毎朝暗い気持ちになる。



辛い日が続くと、

あの日聞いた、車椅子で食事を作る女性を思い出すのだった。



せめて晩御飯だけでもと、

きっと彼女は思ったのだろう。

今は見も知らぬ彼女の気持ちがよく分かる。



役に立ちたい、なんであれ。



きっとそう思ったのだと思う。



私は昨日よりは体が動き、

山盛りの洗濯物を片付けながら、

息子の部屋の片付けをしたり、

ハンカチにアイロンをかけたりしてみた。



ストレッチもふらふらだがほんの少しだけ出来たし、明日がどうなるかは分からないが、

もし将来車椅子になったとしても、

私はキッチンでパソコンを触ったり食事を作ったりするだろう。



夫にDIYをして貰って、

低い所でも洋服が干せる何かを作って貰うのも良いだろう。



とにかく今出来る事をやるしかない。

また良い日もあるだろう。



今日は天国かのように晴れていて、

私はそれを眺めている。



明日も体が動くと良いな。

そんな事思った。